Under the English Sky


英国、ケンブリッジでの生活で感じたことを書いていこうと思います。
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アイルランド(テロに思うこと)

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8月10日の朝は曇り空。朝7時半。今日、アイルランドを発って、英国本土、リバプールに戻ります。

アイルランドはずっと寒かったし、お天気が気になって、BBCをチェックしようとテレビをつけました。あまり旅行中にテレビを見ることはなく、今までもずっとチェックしていなかったのに、何か虫が知らせたのでしょうか。BBCのアナウンサーが緊迫した顔で何かを話しています。画面にはBreaking news(速報)のテロップがずっと流れています。情報も錯綜していて断片的にしか事情が分かりませんが、どうやら飛行機を爆破するテロが関係していて、空港が混乱しているらしいというのは分かります。アナウンサーが繰り返し、急ぎの用事でない限り、今日のフライトは取りやめるようにと呼びかけています。しかしDisruption in Airports(空港が大混乱)とあるだけで、いったい何が起こったのかほとんど分からず、不安だけがふくらみます。私の今日のフライトはどうなるんだ??

テレビで話されているのはヒースローがほとんど。ガトウィック(ロンドンで2番目に大きい空港)も少し出てきます。でも私が行くのはリバプール。国内線だから大丈夫なのかしら・・ベルファスト国際空港の様子も映し出され、人が減っている様子がうかがえます。どうするべきか。朝食後、とにかく早めに行ってみようとチェックアウトすることにしました。受付のお姉さんに、「いったい何があったの?フライトは飛んでるのかしら?」と聞いてみると、親切な彼女は、空港に電話してみてあげようと言ってくれます。なんと言っても私のフライトは、格安航空会社のeasyJet。飛ばなかったら保証してくれるかどうかすら分かりません。ネットでいろいろ調べて、彼女が問い合わせてくれたところでは、朝8時半の時点では飛ぶ予定だとのこと。ただしセキュリティチェックに時間がかかるから早く来るようにとの情報で、すぐに空港に向かいます。ベルファストに名残を惜しんでいる場合じゃない!

空港に着いてみるとやはり非常事態です。入り口に係員が立っていて、透明のビニール袋を渡しています。手荷物はすべて持ち込めないので、これにtravel essentials(お財布とパスポート、搭乗券)だけを入れるようにとのこと。easyJetのカウンターもいつもとは違って画面にAll Destinationsと出て、長蛇の列で、フライトは軒並み遅れているようです。次々とロンドン行きにフライトのキャンセルが出ています。私たちもとりあえず並んでみますが、カウンターに到達したところで、時間が早すぎてチェックインできないと却下。仕方がないのでコーヒーを飲みながら待つことに。不安な気持ちで画面を眺めていると、同行者がリバプール行きのキャンセルを発見。大慌てでカウンターに飛んでいきます。カウンターのお兄さんはさっきの人で、すべてのリバプール行きはキャンセルだから、明日まで飛ばないと言うだけ。みんな飛んでるじゃない。とにかく本土まで行きたいからどこかに振り替えてもらえないかと言ってみても、それはできない、チケットを買い換えてくれ、できるのは明日の便に振り替えるだけ、との一点張り。仕方がありません。次の日の朝、一番のフライトをとってもらって、同行者が昨日までいたホテルに電話をしてくれます。お部屋はあるらしく、一安心。本当に、ひとりぼっちじゃなくてよかった。ひとりだったら不安でたまらなかったと思います。仕方がないので、再度ベルファスト市内に逆戻り。バスの運転手さんに料金を払って、「フライトがキャンセルされたんだよ。市内に逆戻りなのよ。」というと、「何?狂ってるなぁ」とのコメント。本当に、何かが、おかしい。

IRAに代表される暴力行為の街、ベルファストで、それとは違うテロに遭遇するのもなんだか運命的な気がします。私自身は直接的な被害というのはそれしかありませんでしたが、暴力行為は何も生み出さないのに、世界はどんどん両極端に分かれていくような気がします。先日友達がくれたメイルで、日本での報道の中で、インタビューされた日本人観光客が、「添乗員さんはパニクっていたけど、観光客自体はそれほどでもなかった。だって何でもなかったんでしょう?」と言っていたと書いてきてくれました。彼女はそれに対して、「自分は絶対テロに遭わないという日本人独特の自信でしょうかしら」と書いていましたが、その自信は日本人だけではないのでしょう。こんなに世界が狭くなっていて、テロという暴力行為の目的自体も多様化していて、その原因すらも複雑で一つには特定できない、そんな時代に突入している以上、あらゆることは対岸の火事ではありません。今回はたまたま未然に防げたということですが、それも世界有数の管理社会イギリスが、世界最多の防犯カメラや情報網を駆使して、9.11以降常に危機感を覚えていたからなのです。先日、英国人の友人と話していて、イギリスは人種差別的な感情や摩擦がないことはないが、これだけ多様な民族を抱えている国にしては驚くほど少ない、と聞きました。しかし、私自身は、例えば湖水地方で、英国人ドライバーさんが、「イスラム教徒がたくさん入ってきているのは困ったものだ」とかなり強い口調で言うのを聞いたし(湖水地方は優雅なリゾートですが、すぐ近くにランカスター、マンチェスター、リーズなどの北部工業地帯を抱えています。英国有数のアラブ系人口を抱えた地帯なのです)、水面下ではいろいろな問題があるのでしょう。

テロという暴力行為は断じて許されるべきことではありません。しかし、何より今回のことで思うのは、容疑者は若い夫婦で、子供のミルクに爆発物を仕掛けていたという報道から、事態は新たな段階に入っているのだという実感です。人間として考えられない狂信的行為。しかし、軍事力という点において圧倒的な劣者であるテロリスト達は、そのような報復の仕方しか考えられないのでしょう。英国人の友達が言うところでは、急進的なイスラム教徒の一番恐ろしいところは、わずか4%にしかすぎない人口でいながら、イギリス社会を自分たちにあうように変えようとしていることだと彼女は主張します。去年の7.7のロンドン同時多発テロの際にねらわれたのは、エッジウェア・ロード、ロンドンにおけるイスラム教徒社会の中心部なのです。急進的な人たちの一番のターゲットは本当は同じ宗派のよりマイルドな人たちだと彼女は主張します。本当にいろいろな問題が複雑に絡まり合っていて、単にテロは恐ろしいと言うだけでは何の解決にもならないのです。しかし、再度舞い戻ったベルファストでBBCのインタビューを受けていたアメリカ人が、心配している?との問いに対して、「全然!私が帰る土曜にはもう大丈夫でしょう。」と答えていたことにも驚愕しました。ターゲットはアメリカだったと報道されているのに、自分は大丈夫というその「自信」はアメリカ人にも共有されているのでしょうか。あるいは、アメリカ人だからこそ、そのような自信を持っているのでしょうか。アメリカがどんどん世界の中から孤立していく、あるいは自らを選んで孤立させていく様を見ていると、なんだかうそ寒くなってきます。世界はどのような方向に進んでいくのでしょうか。先日、見送りに行ったヒースローは、1993年に私が初めて英国を訪れた時と同じ、厳戒態勢になっていました。当時はIRAのテロが頻発していましたが、今は国際的なテロ組織が世界中でテロを起こしています。

これは番外編。再びベルファストに戻ってまたもや旅行記を続けます。
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by ellisbell | 2006-08-19 05:25 | trip

アイルランド(本当断崖編)

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アイルランド旅行も佳境に入ってきました。ドライブにもずいぶん慣れて、高速道路では人生最高速度(140キロ)を記録☆(←もちろん違法です。)

イニシュモアはあまりに印象が強烈で、ゲールタクトであるゴールウェイは去りがたい気がしましたが、今度は少し南東方面、リムリックを目指します。リムリックはフランク・マコートの「アンジェラの灰」で有名になったところ。でもリムリック自体ではなく、途中にあるバレン高原とモハーの断崖が今回の目的地です。

c0105386_5314184.jpgまずはバレン。The Burren(ゲール語のBhoireann、「石の多い場所」から来ているそうだ)というのがその名前ですが、英語の語感でそれを聞いたときにイメージした、barrenというのがぴったりの不思議な場所です。西海岸ですが、アラン諸島と同じ石灰質の大地が広がります。説明標識にあったkarstという単語を見て、いわゆるカルスト台地なのかと納得。緩やかに標高が上がっていって、徐々にむき出しの石灰岩が目立ってきます。クロムウェルはアイルランドでは残虐な侵略者ですが、ここに来たときに「人をつるす木もなく、おぼれさせる水もなく、生き埋めにする土もない」と途方に暮れたとガイドブックにはありますが、確かにこんな風景はあまり今まで見たことがありません。そしてこの地域で一番見たいと思っていたのは、太古の民族が自然の石を積み上げて作った、ドルメンと呼ばれる大きな墓石群。たくさんあるようですが、中でももっとも有名でたどり着きやすい、「巨人のテーブル」と呼ばれるドルメンを目指します。思ったより小さかったのですが、ここでは16人分の人骨が発掘されたらしく、ケルト民族が来るより前の遺跡ですから、感慨もひとしおです。先住民族といえばケルトと思いこんでいましたが、アイルランドにはたくさん、ケルト以前の(つまりは紀元前4000年くらいの)遺跡が残っているのです。それもアイルランドに実際行ってみるまではまったく知らなかったことだし、歴史というか伝統というか、太古の時間の流れの重みを思い知らされました。アイルランドは古いです。気の遠くなるような時間を耐え抜いてきた遺跡たち。すごい。(しかもその遺跡がほとんどお墓だなんて!墓フェチ、断崖フェチの私にとってはうれしすぎる旅でした☆)

お次は、アイルランドといえば赤毛、ですが(私の中では)、それに次いで楽しみにしていた、モハーの断崖へ。さすがに有名な観光地、年間25万人の観光客といっていたアラン島の絶壁よりも人が多い!イニシュモアのドーン・エンガスは300フィート(90メートル)でしたが、こちらのモハーは200メートルの断崖絶壁です↑。思わず小躍りしたくなる素敵な断崖。波が荒々しく絶壁の岩に当たって砕け、断崖の間を縫うように海鳥が舞います。ドーン・エンガスが力強さ、強烈さと、その息をのむような迫力で勝っているのに対し、こちらは約8キロに渡って大西洋に連綿と突きだしている断崖群ですから、その見事さ、洗練された優美さにおいて勝っています。うん、優美でたおやかな感じでした。女性的断崖。10年前に行かれたA先生は、「あれは死ぬよ〜」っておっしゃっていましたが、「これは死ぬ〜」と思ったのはやっぱりドーン・エンガスの方で、荒々しさが全然違いました。しかし、こちらは、事故があったのかなんなのか、聞いていたのとは違って一応、係員が2人ほど、観光客が身を乗り出さないように見張りに立っています。遊歩道のようなものも整備されていて、ドーン・エンガスほど身を乗り出して絶壁を見ることはできません。c0105386_531249.jpgとは言っても、岩だったドーン・エンガスとは違って、こちらは土が主だし、本当の崖っぷちには草が生えていて境界がよく分かりませんから、同じくらい危ないのです。しかし本当におもしろかったのは、「これ以上先に行ってはいけません」という看板をみんな無視して、乗り越えて行くこと。うーん、これこそヨーロッパの個人主義。申し訳程度に立っている見張り係員も、この辺りまで来ることはなく、見て見ぬふり。みんなどんどん看板を乗り越えて行きます。もちろん私も乗り越えて行きますよ〜。断崖フェチとしては、これは危ない!というところまで行かなくては気が済みません。しかし確かに、強い風に吹き上げられた荒波がしぶきとなって吹き上げてきて、いつものにわか雨のせいで濡れた地盤もすべりやすく、確かに一見の価値のある、迫力ある美しい断崖でした。

そしてリムリック郊外のホテルへ。昔は誰かのマナーハウスだったという建物は、ホテル自体としては4ッ星でそれほど格が高くないのですが、お庭が素晴らしかったです。26エーカーの敷地といわれてもピンと来ませんが、計算してみるとざっと約32000坪(ホントかな??計算にはどうも自信がありません・・とにかく、広かった)。広いです。何せ敷地内にホリデイホームがたくさん建っていて、川まで流れていて、釣りができるのですから。結婚式があったらしく、花嫁花婿がお庭で写真を撮っているのを眺めながらゆっくりと川辺をお散歩していると、白鳥がゆったりと川を渡ってきました。優雅な、イギリス的な、ホテルです。(しかしここもお湯が出なかった・・古いホテルはやっぱりダメですね。災難続きです。)しかし何より朝食に出ていたスコーンが素晴らしく素晴らしくおいしかったです!!「スコーン食い」の私が今まで食べたスコーンの中で一番おいしかった!大絶賛です。このスコーンだけ食べにまた行きたいくらいです、リムリックのCastle Oaks House Hotel!!

ダブリン郊外にある、アイルランド人の心のふるさと、タラの丘(美しいところでしたが、ただの丘だった・・)に寄り、世界遺産の巨大墳墓ニューグレンジ(墓フェチとしては行かずにはおれません!しかもその墳墓に刻まれたぐるぐる文様などは、本当にアイルランドを象徴するものだし!)に寄ったときには時間切れですでにガイドツアー(でしか行けない)はすべて売り切れ。墳墓を目前に涙をのみました。くぅ〜〜っ。しかしさらに災難は続きます。ダブリン市内をパニクりながら運転してレンタカーを返しに行ったのに、営業所は閉まっていました。24時間返せるって言ってたのに、あの営業窓口お兄ちゃんめ!!かなりキレましたが、空港まで再度高速を乗り継いで行き、何とか車を返却。いろんなことがありましたが、いろいろ見られたアイルランド南部の旅でした。やっぱり車はいいですね。通り過ぎるだけの小さな村や町も、途中でお昼ご飯を食べに立ち寄った小さな村や町も、それぞれに印象に残っています。ここから今回のもう一つの目的地、北アイルランドに向かいます。(アイルランド紀行、長い〜〜!長文読破、ありがとうございました。)
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by ellisbell | 2006-08-18 05:29 | trip

アイルランド(アラン諸島編)

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ついに、ヨーロッパの西の果て、アラン諸島までやってきました。

そう、漁師の着た、あの独特の網目模様を持つセーターで有名な、絶海の島々です。ゴールウェイからロッサヴィールという港まで車で出て、そこに車を置いてフェリーに乗ります(車乗り入れ禁止の島です)。アラン諸島は3つの島から成りますが、最大の島、イニシュモアへ向かうフェリーは40分くらい。沖に出ると大西洋の荒波がかなり強く船を揺さぶります。周囲の人はみんな風よけのマウンテン・パーカーのようなものを着込んで重装備。私は長袖Tにカーディガン、ストールという出で立ちです。港からもうすでに大後悔。風が、すさまじく、強いのです。夏とは思えない気温。(そういえば、ダブリンでも風が強くて寒かったです。やっぱり小さい島なのですね、アイルランド島は。しかも英国より北にある。厳しい地理的条件なのです。)

c0105386_5344239.jpgしかし、素晴らしいところでした。今回の旅程中、もっとも感激的な場所。まずはその島が、ケルト文化の中心とでも呼ぶべき場所であること。アイルランドには、ゲール語が日常的に話されている場所は数カ所しか残っていませんが、ここはその一つです。その証拠に、ゲールタクト(ゲール語を話す地域を指す)という看板が船着き場に立っています。看板や標識がゲール語であるだけでもすでに感激的なのに、実際に、島をまわるためにミニコーチに乗ったら、その運転手さんは隣の運転手さんとゲール語で会話していました。そして、何より、その島が岩ばかりの厳しい自然をそのまま残していること。石灰岩でできた島で、岩の間に海藻をおいて土を作ったと言われていますが、本当に岩ばかりで、すさまじい風が吹き付けてきて、ものすごく厳しいその自然環境がとても印象的でした。その中にある石垣で囲まれた牧場(の跡というほうが正しいのかもしれない場所)や、吹きすさぶ強風に耐えながらぽつぽつと立つ茅葺きの家は、きっと、一生忘れられない風景でしょう。本当に印象深いところでした。この中で、漁をするしか生活の手段のなかった漁師達が、荒波と強風に耐えるためにアランセーターを着て、そのセーターにあの独特の、それぞれに意味のある模様が編み込まれ、代々受け継がれていったのですね。残念ながら、今ではこの島は800人ほどしか人口がなく、ミニコーチの運転手さんの話では、産業がないためにほとんどの若い人たちが島を出て行くそうです。さらには住宅規制があるために新たに移住する人もいないので、アラン島には未来はないと、彼は嘆いていました。去年から1年で100人も人口が減ったそうです。この独特の伝統文化がいずれ消え去ってしまうかもしれないことがとても残念です。

c0105386_5353723.jpgイニシュモアの最大の見所は、なんと言ってもドン・エンガスという先史時代の遺跡。一説では3000年も前に作られた遺跡だとか、遺跡といっても単なる石垣で囲まれただけの要塞なのですが、その砦の先は90メートルの断崖になっています。本当に、正真正銘の、断崖です(この写真は何か。もちろん、真上から見下ろした断崖絶壁です!!)。これはすごい迫力。この島は何から何までホントに迫力があります。今回の旅行でいろんな崖を見ましたが、いくら高所大好きの私でも、これはホントに、文句なしに怖かった。垂直な崖なんて初めて見ました。みんな落ちないように腹ばいになって下をのぞき込みます。崖っぷちが岩盤だから可能なことなのです。土だったら崩れてしまって崖っぷちを上からのぞき込むのはかなり不可能に近いでしょうから。強風が吹き付けて、こんなところは世界にもほかに類を見ないだろうとしみじみ感じ入りました。っていうか、日本だったら絶対柵で覆ってしまってこんな風にはしてないだろうな。危なすぎます。死にます、これは。子供には注意してねっていう看板だけっていうのが、さすが自己責任のヨーロッパ・・と変なところでも感心しました。何のために作られたのかはよく分かっていないようですが、いずれにしてもものすごい迫力でした。

それから、七つの教会と呼ばれている廃墟を見ました。すでに廃墟となって久しく、荒風のせいで教会跡すら2つしか残っていませんでしたが、青い空と大西洋を背景に、崩れかけたハイクロスがそびえる姿はとても感慨深いものでした。苛酷な自然と、それにあらがう人類と。世界にはこのような場所もあるのですね。本当に言語を絶する、絶海の島という感じでした。アイルランドをまわった旅程の中でも、本当に、一番印象に残った島でした。お次はリムリックからアイルランド本島の断崖を見に行きます。
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by ellisbell | 2006-08-17 05:33 | trip

アイルランド(西部編)

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さて、いよいよメインのアイルランド西部をまわる旅に出発。同時に、海外ドライブデビューです☆

海外ドライブは初めてだし、知らない土地で事故なんかあったら怖いから一生することはないと思っていたのですが、知り合いのA先生の「アイルランドでは羊にぶつからない限り、事故なんか起こしっこない!」との言葉に背中を押されて、運転してみることにしました。日本と同じ左側通行だし、ラウンドアバウトと呼ばれる交差点の仕組みだけが違って怖いけど、後はほとんど同じです。愛車は初めてのヒュンダイ。ダブリンで借りたハーツのお兄さんも、「日本と同じだし簡単だよ」と気楽に言います。ヨーロッパでは少ないオートマチック車を借りるところまではちゃんと手配してあったのですが、うっかりナビを予約することを怠り、地図だけを頼りに旅することになりました。目指すは西。

ダブリンからN4に乗って、まずはゴールウェイに向かいます。最初はどきどきしましたが、高速道路M4も走りやすく、国道N4も立派な道です。アイルランドの国道は高速道路M、主要幹線道路N、その他の道がRで表されていて、とてもわかりやすい道路です。さらには、速度規制が高速道路は120キロ、一般道路は100キロ、市街地は50キロということになっていて、車も少ないので渋滞もなく、日本ではほとんど速度オーバーしない私も気持ちよく車を走らせました。市街地に近づくと速度表示が80キロ、60キロ、50キロと変わり、街に入ったことが分かります。きわめてわかりやすく、走りやすい道路です。

c0105386_5373310.jpgさて目的地。まずはアスローンからシャノン川の方にそれて、初期キリスト教修道院遺跡のクロンマクノイズに立ち寄ります。こういうことができるのがレンタカーの良さですよね。車でなければ行けないところにいろいろと行けるのがうれしい。羊や牛を見ながら遺跡に到着しました。美しいシャノン川のほとりに広がるこのキリスト教修道院遺跡には、大きなハイクロスが立ち並び、見事なラウンドタワーも残っています。歴代の王達の庇護を受けていた当時の繁栄を思わせる遺跡でした。この重要な初期修道院はアングロ・ノルマンの侵略により13世紀頃から衰退、16世紀にイギリス軍に完全に破壊されて廃墟となったようです。説明ビデオによると、イギリス軍は「あらゆる宝物を奪っていった。ステンドグラスに至るまですべて、壁以外は。それは持って行けなかったのだ」とのことでした。うーん、やっぱり反英国支配に対する感情は強いのですね。英国がしていたことを考えると当然とも言えるのでしょうけれど。片手にはシャノン川がゆったりと流れ、もう一手では牛たちがのんびりと草をはむ、穏やかな修道院遺跡でした。

c0105386_5374717.jpg迷いつつ、予約していたカントリーハウスに到着。これも車ならでは!ということで、絶対泊まってみたかったところです。18世紀の田舎の小さなマナーハウスを現代的な設備にして貸し出しているカントリーハウス。主人のGeorgeが暖かく迎えてくれました。ついたらすぐに、お茶はどう?と聞いてくれたのがうれしかった。この日も風が強く寒かったので、一日の運転の後の暖かいミルクティーがおいしかったです。これは入ったところの階段。彼はお料理もとても上手で、同じ日に泊まったパリからいらしているフランス人ご夫妻、お母さんのアイリッシュ・ルーツをたどりにきたカナダ人ご夫妻と娘さんとのお食事もとても楽しく、おいしくいただきました。貴族のおうちに招かれたようなゴージャスな、しかし田舎らしくこぢんまりした暖かい雰囲気。素敵な夜でした。(その後ひどい目に遭うことは予測もできず・・・トイレのお水がなかなかたまらないなぁと思っていたのですが、どうやらその日はお水関係に問題があったらしく、お風呂に入っている時に突然お湯が出なくなりました。お水も出なくなって、泡だらけの身体と髪の毛で途方に暮れる羽目に・・同行者がお水をもらいに行ってくれましたが、Georgeも申し訳ながってくれるだけでどうしようもなく、お水を水差しに汲んでもらって、それで風邪を引きそうになりつつもなんとか泡だけは落としました。ひどい夜でした・・でも次の日の朝のGeorgeの焼いてくれたスコーンは素晴らしくおいしかった!!!アイルランドではスコーンを朝に出すことが多いのですね。しかも、バターとジャムで食べるのがアイリッシュ風。小さめで、さっくりしたおいしいスコーンでした☆)

そして、楽しみにしていたアラン諸島にも行けることに。最大の島、イニシュ・モアです。あまりにも書きたいこと、載せたい写真が多いので、やっぱりもう一度、明日に延ばすことにします。
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by ellisbell | 2006-08-15 05:36 | trip

アイルランド(ダブリン編)

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英国の隣国、アイルランドを旅行しました。まずはダブリン編。

ロンドンからダブリンは、格安航空会社Ryanairの仰天価格、ホントに飛ぶのか?というお値段のフライトで1時間強。easyJetもそうでしたが、さまざまなサービスがないというだけで、それ以外は普通の航空会社です。こんな価格で飛行機が飛ぶなら、電車やバスは大変だろうなぁ・・と思います。なぜ安いか。あまり人の使わない不便な空港を使うことで、人を呼びたい空港が補助金を出すそうです。確かにライアンのは本当に不便そうな空港に到着することもありますが、さすがアイルランドはお膝元、ちゃんとダブリン国際空港に到着しました。タラップを降りて空港の建物に入る時から、ゲール語(アイルランド語)と英語の併記。感激しました。美しき国Eireに来たのです。

空港から市内まではバスで30分ほど。最近はITなどでめざましい経済発展を遂げていると聞いていましたが、北側から街に入ると、それほど繁栄しているようにも見えず、イギリスよりは人もずいぶん少ない感じです。リフィ川が見えてきた辺りでバスを降りて、今日のホテルはグレシャム。ダブリンといえばJames Joyceですが、Dublinersの中に出てくる、ダブリンを代表するホテル。オコンネル・ストリートに建つ、ひときわ重厚な建物です。チェックインを済ませてから街に出て、まずはイースター蜂起の舞台となった中央郵便局へ。イエイツの詩でも知られていますが、反乱自体は失敗したものの、共和国設立のきっかけとなった事件です。その近くにあるジョイス像を見て、すぐ近くのパブでランチをしました。英国のパブと基本的には同じですが、アイルランドではバーと呼ぶのですね。そして、英国よりもちろん安くておいしい。量の多さは同じくらいかな。でも、何よりもアイルランドの人はフレンドリーで、どこから来たの?としょっちゅう尋ねられるのが印象的でした。思ったほど赤毛と緑の目の人はいなかったけど(笑)。

c0105386_5402172.jpgリフィ川沿いを歩いてアビー・シアターへ。イエイツやレディ・グレゴリーが中心となって成立した有名な文芸劇場ですが、常にアイルランドの演劇の中心的存在であり続けています。向かう途中で、劇場の斜め前にこのような壁を発見。イースター蜂起で処刑された人々の顔写真が貼ってあります。もちろん現在のアイルランドはEUの一員であり英国の支配下にはありませんが、長い間の英国支配に対する根強い反感のようなものをここでも感じました。本日の演し物はオスカー・ワイルド、The Importance of Being Earnestでした。しかも全部が男性というキャスト。もちろん大喜びで席を取ります。その前に、トリニティ・カレッジのケルズの書を見に行きます。美しい装飾本。人が多くて大変でしたが、さすがにケルト芸術の最高峰とされるだけあって、不思議な、美しい写本でした。それからグレシャムでアフタヌーンティー。似てはいますが英国と違って、スコーンが主役じゃない。しかもアイルランドではバターで食べます。バター版も好きだけど、ちょっとしっとりしてパンみたいで、私はイギリスの方がいいなぁ・・と思いました(が、その後感激的なスコーンに次々と出会うことに!)そしていよいよ観劇です。主演の役者はあまりにもワイルドにそっくりで、笑ってしまうくらいでした。大昔に日本語で読んだだけの作品、最初は台詞を聞きとるだけで大変でしたが、次第に慣れてきて楽しめるように。コメディらしい、味のある役者さんがたくさん出てくる楽しい作品でした。劇というのはやっぱり読むものではなくて、演じられるものなのですね。間の取り方や声の抑揚で本当に楽しめます。全身で感じる舞台芸術だと再認識しました。

c0105386_540860.jpg次の日は市内観光。アイルランドにおける英国国教会の大聖堂、クライスト・チャーチ大聖堂を見学するのもそこそこに、アイルランドといえばギネス!ということで、ギネス・ストアハウスへ。大麦からスタウトと呼ばれる黒ビールができる様を見学した後、一番上のバーでできたてギネスを試飲します。これが、おいしい☆本当にスッキリして、ギネスの香ばしさがあっさりしていて、とてもとてもおいしかったです。その勢いで、アイルランド・ウィスキーの代表銘柄Jamesonの蒸溜所へ。今はここでは蒸溜されていませんが、バーボンが1回だけしか蒸溜されず、スコッチが2回であるのに対して、アイルランドのウィスキーは3回蒸溜されるそうです。だからスッキリした味わいの、くせのないウィスキーになるらしい。その通り、とってもおいしいウィスキーでした☆

その後はジョイスの通ったバー、ディヴィ・バーンズで晩ご飯を食べて(このアイリッシュシチューはとてもとてもおいしかった!素朴な味でした。お芋ごろごろ(笑))、ダブリンの日程はひとまず終わりです。ユリシーズに出てくる、オーモンド・ホテルが閉まっていてバーに入れなかったのが残念でしたが、なかなか盛りだくさんのダブリンでした。ロンドンのような都会ではなく、暖かみの残る大きな街ダブリン。ここから、次は西に向かってドライブします。
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by ellisbell | 2006-08-14 05:38 | trip

Jane Eyre

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先日、ロンドンで、「ジェイン・エア」の舞台を見てきました。

5月から気になっていたのですが、なかなか見に行くチャンスがなく半ばあきらめかけていましたが、HPでチェックしたところ、好評につきロングラン決定とのこと。ロンドンは、オフ・ウエストエンドのTrafalgar Studios。その名の通り、ナショナル・ギャラリーやネルソン提督像のある、トラファルガー広場のすぐ近くです。フラッと「今日の席空いてる?」とのぞいたところ、土曜のマチネだったのに、ちゃんと席が取れました。小さな劇場なので、真ん中後ろよりの席をゲット。プログラムを買って読みながら、開演を待ちます。土曜のお昼間ですが、観客は50人ほど。お年寄りや学生もたくさん来ています。ヨーロッパって舞台芸術が特別なものでないところがいいよね、と思っている間に、席が余ったらしく、もう少し前に降りてきなさいとのアナウンス。お値段以上の席に座れることになります。お隣に座ったのはどうやらドイツ人学生旅行者ふたり組。「ジェイン・エア」は全世界的に人気があるのでしょうか。しかしやっぱり女性の方が割合は多い感じです。

もちろん、これはCharlotte Bronteのベストセラー小説Jane Eyreを舞台化したものです。脚本、演出はPolly Teale。まだ若いけれども評価の高い脚本家、演出家です。彼女はブロンテに興味があるらしく、以前にもAfter Mrs Rochester(もちろん、ジェインの相手であるロチェスターの、狂える妻バーサを念頭に置いています)という舞台を手がけています。こちらは出版された脚本しか読んだことがなかったのですが、なかなかおもしろかったし、劇評もよかったので、今回も楽しみにしていました。

プロットはご存じの方も多いと思いますが、不器量な孤児ジェインが苦しい子供時代を経て教育を身につけ、家庭教師となった先の貴族、ロチェスターと恋に落ちます。身分の差を乗り越え、結婚しようとしたまさにその結婚式で、実はロチェスターにはバーサという狂った妻がいて、イギリスの法律によって彼は離婚できず、つまりはジェインと結婚できないことが分かるのです。悲嘆に暮れたジェインはロチェスターの元を離れ、荒野をさまよった末にセント・ジョンという牧師に助けられ、そこで村の小学校の教師をしながら生活をします。彼女の忍耐強さを見込んだセント・ジョンは、彼女に結婚してインドへの伝道に同行して欲しいと頼みますが、ロチェスターのことが忘れらないジェインは、神にどうすればいいのか助けを求めます。その時ロチェスターが彼女を呼ぶ声が聞こえ、彼女はロチェスターの元へ戻るのです。バーサは狂気の末に館に火を放ち投身自殺、助けようとしたロチェスターは片腕と視力をなくします。ジェインは今やロチェスターの片手となり目となって、一緒に幸せな生活を送るのです。

ブロンテ研究の必読書に「屋根裏の狂女」という批評書があります。1970年代に出た、フェミニズム理論に基づいた大変おもしろい本ですが、そこで著者が述べているのが、ジェインとバーサは実は裏表であり、同じものだという理論です。ヴィクトリア朝という束縛の強い社会の中で生きる女性ジェインができないことを、バーサがしているのだ、だから結局バーサがロチェスターに与えた懲罰は、ジェインが与えたかったものなのだ、という論。Tealeはこれに大きな影響を受けたようです。After Mrs Rochesterでもそうでしたが、この劇でもバーサは最初から最後までずっと舞台にいて、最初は子供時代のジェインにつきまとう狂気の女として現れます。子供のジェインは、あってはならないその存在に気付いていて、必死で彼女を振り払おうとします。いったんは成功したように見えるのですが、その狂女はバーサという形で再度舞台に登場し、バーサという人物が焼身自殺を遂げた後も、バーサ的なるものはロチェスターと出会って激情に目覚めたジェインに最後までつきまとう。特に子供時代にすでにジェインがバーサ的なるものの存在に気付き、押し殺そうとしているという解釈がとてもおもしろかったです。それから、ジェインが映画で描かれてきたストイックな雰囲気とはずいぶん違う、肉体的な欲望に駆られる女性として描かれていたのも特徴的でした。その欲望があるからこそ、彼女は激しく自分のバーサ的なるものにあらがわなくてはならなかったのですね。

大道具や舞台装置はまったく変化なく、人物が動いて場面の転換を表していたのもとてもおもしろかったです。だからこそバーサが舞台に出ずっぱりということが可能になったわけです。映画と違って3時間以上の長い舞台でしたが、大筋ですべてのプロットを組み込んだ、意欲作でした。3時間の異次元空間。The Timesの劇評、"You feel you are looking into the heart of Bronte herself."というより、Jane自身の心の葛藤をまざまざとうまく視覚化した舞台だったと思います。小説の視覚化にはいろいろ問題がありますが、現代的で、解釈も優れた、佳作だったと思います。
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by ellisbell | 2006-08-01 05:41 | literature


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