Under the English Sky


英国、ケンブリッジでの生活で感じたことを書いていこうと思います。
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ガーデニング

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英国人の楽しみは、なんと言ってもガーデニング(とフットボールとウォーキング、時々釣り)。

最近でこそ気温が下がってきて(夜には厚手のジャケットが欲しくなるくらい)、あちこちで咲いている花も元気がなくなって来ましたが、この国では道を歩いているとお花を見かけないことがありません↑。どこの街でも、どこの村でも、お庭にはお花が咲き乱れ、建物は鉢植えで飾られ、街頭ではハンギング・バスケットが揺れています。ケンブリッジのコレッジはそれぞれに庭師さんを雇っていて、コレッジのお庭はもちろんのこと、コレッジ所有のレジデンス(私のフラットも含めて)にも来て、お花の植え替えなどをしています。実際、こまめに植え替えをしているのを見ていると、ガーデニングって言うのはなかなか手間がかかるし、好きじゃないとできないなぁと実感。ガーデニンググッズはいろいろおもしろいものがあって、日本では庭仕事用のはさみや手袋は見かけても、あんまりガーデニングをするときに膝の下に敷くマットなんていうものは見たことがないですが・・色の配置、背の高さ、それぞれを考えながら自分でお庭をつくっていく、さすがDIYの国らしい楽しみです。4月のチェルシー・フラワー・ショウをはじめ、たくさんのガーデニングフェスティバルがあるし、そもそも、日本で言うゴールデンタイム(夜の7時〜9時)に、ガーデニング番組を堂々とやっているなんて、日本では考えられませんよね。

君の部屋にもお花が欲しいだろうから、と5月にBizzy Lizzyというお花の鉢植えをくれたのは、フラットのメンテナンスのスティーブン。6月に帰国している間に、世話をしていてくれたのはいいのですが、帰ってきてみると、栄養剤をいっぱいもらいすぎて、巨大になっていました・・・部屋の出窓に乗り切らないじゃん・・私がアイルランドを回っていた間に、さすがに大きすぎることに気付いたのか、小さい新しいのに取り替えてくれたのですが、それからも事あるごとに、庭がきれいなうちに一度見においで、と声をかけてくれていました(何につけてもものすごく親切な人なのです・・自転車が消えちゃった時にもすぐに新しい中古自転車を貸してくれたし、寒いだろう、ヒーターをつけてあげよう、としょっちゅう来てくれるし。唯一の難点は、彼があまりにも頻繁に朝の8時過ぎから(!)何かをしてあげようと来てくれることと、彼の英語のなまりがあまりにも強いこと・・・日本では聞いたことのないコックニー+アングリア方言なので、聞いていると頭がぐらぐらします)。先週、ついに日が決定され、今日の夕方から彼のおうちを見に行ってきました。

c0105386_20324176.jpg今日はまさに秋晴れとでも言うべき、涼しくて晴れ渡った空が広がっていました・・・朝のうちは。この国の天気は信用できませんが。朝にお買い物に出たときに、近くのカトリック教会が青空をバックにきれいだったので、写真を1枚。スティーブンの奥さんにおみやげのチョコレートを買って、いざ出陣。夕方には雨が降っていたようですが、さすがイギリスのお天気、ものすごく局地的なshowerなので、私たちは車で移動している間にうまく避けられたようです。彼の住む街はケンブリッジの北側、イーリーに近い小さな街。メインストリートに中華とfish&chipsのテイク・アウェイしかない街です。(そういえば、先月行ったイーリー旅行記も近日中に書かなくては!)隣のおうちとくっついた、典型的な郊外型セミ・デタッチト・ハウス。この辺りのおうちはあまり塀や柵をたてていませんが、彼の家も前はバラなどの植物が植わっているだけです。後ろに広がる小さな芝生の周りに、たくさんのお花が彩りよく植えられていました。これは何、これは何、と説明してくれながら、枯れた花を取ったり虫をつまんだり。根っからガーデニングが好きなのでしょう。お花のカタログもそういえば、前にもらったなあ。

c0105386_20325563.jpg夕食は、たぶん精一杯のおもてなしだと思いますが、近くの中華のテイクアウェイ。それに奥さんが作ってくれたパヴァロヴァ(としか聞こえなかった)とアップル・クランブルのデザート。娘さんが犬を連れて来ていて、旅行や上の娘さんの結婚式の写真を見ながら夕べを過ごしました(やっぱり皆さんそれぞれにアクセントのある英語で、集中しなくてはならなかったので多少疲れました・・スティーブンが一番アクセントは強い気がしますが。アングリア方言なのでしょうね)。家族そろって歓待してくれて、英国人の普通の家庭をのぞかせてもらいました。そして、私のために、お庭でおみやげとして自慢のお花を摘んでくれたスティーブン。Do you have a vase?というその発音、「ヴァーズ」が、ああ、イギリスだなぁと思いながら、ありがたくもらってきました。
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by ellisbell | 2006-08-30 20:30 | society

国籍と多文化主義

c0105386_2034331.jpg英国は二重国籍を認めています。

自国民の国籍には、系統主義と生地主義をとる国があり、日本は両親のどちらかが日本人だったら日本国籍を与える系統主義、アメリカはアメリカで生まれたらアメリカ国籍をもらえる生地主義をとっています。実際には無国籍にならないようにどちらの国も配慮はするようですが、二重国籍に対する日本の対応は厳しいものです。アメリカで生まれた友達は、20歳になったときにどちらかの国籍を取る決断をしなくてはならなかったと言っていましたが、日本国籍を持つためには、アメリカ国籍を捨てなくてはならないのです。彼女の場合は両親とも日本人だし、アメリカで育った期間が短いので、日本国籍を取ることに迷いはなかったのですが、先日、二重国籍を持つ英国人の友達に、もし両親が別国籍だったり、自分のアイデンティティが一つに決められない場合は、どうすればいいのかと聞かれました。英国の場合は、制限はあるものの、英国人あるいは英国に永住権を持つ両親から生まれた子供は、"You cannot not be English"(彼女談)だそうです。(もちろん英国籍を捨てることは可能ですから、心情的にimpossibleということでしょうけれど。)

地理を勉強しなかった私は、こちらでよく「日本の人口は何人?」とか「東京の人口は?京都の人口は?」と聞かれるたびにオタオタするのですが、日本より早く高齢化社会を迎えることを予想していた老大国、英国は、早くから積極的に移民を受け入れてきたようです。その結果、例えばパキスタン出身の両親を持つOmarも、香港出身の両親を持つRuthも、英国人なのです。(聞いてはいませんが、Ruthは二重国籍を持っているのかも知れません。「あなたの国では」と聞いたときに"In Hong Kong?"と聞き返されたことがあります。)たくさんの移民を受け入れたということは、畢竟、多文化、多民族主義に切り替わったということですが、先日のテロを受けて、最近multiculturalismに対する批判が多いように思います。つい2,3日前もBBCのラジオ放送で多文化主義についての討論会をやっていましたが、圧倒的多数であるwhite Anglo-Saxonsが、徐々に勢力を伸ばしつつある少数派に脅威を感じている様子がかいま見えます。もちろん全部が全部そうではないのは当然だし、概して英国社会は移民に寛容な気はします。しかし、特に先日のテロ計画の首謀者の一人が、イスラムに改宗した生粋の白人英国人であったことを憂う声も多いようです。いったん開いた扉を、特にこのどんどん世界が狭くなりつつある時代に、閉じてしまうのはとても難しいことだろうし、賢明であるかどうかも分かりませんが、移民を受け入れてきた英国社会も、受け入れなかった日本社会と同じく、揺れていることは確かなようです。

でもここケンブリッジは例外的。世界中から学生が集まってきて、世界中に散っていきます。「みんな動いていく時期なんだね」と、昨日出会ったRuthに言うと、「寂しいの?寂しいのは私も一緒だけど、ここは駅みたいな場所だから」と言われました。人が目的地としてやってきては、また新たな目的地に向かっていく場所。「それに、ケンブリッジはとてもフレンドリーな場所だから、また新しい友達ができるよ」と言うRuth。確かにその通りです。フレンドリーで、誰でも受け入れてくれる、穏やかな「駅」ケンブリッジ。名言ですね。
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by ellisbell | 2006-08-29 20:33 | society

punting

c0105386_20364016.jpg今日は久しぶりのいいお天気。ケンブリッジ名物のパンティングに挑戦してきました。

昨日までの寒さでは、もうパントなんかする気になれないと思っていましたが、昨日、「明日は晴れるよ」と言ったRuthの予言通り、今日は朝からいいお天気(たまにはBBCも当たるのね)。昨日、お隣のOmarがパントに誘ってくれていたのですが、お天気が悪かったので今日に変更。朝に出会うと、今日は大丈夫そうだと決行することにしたとの報告。途中曇ったりもしていましたが、クイーンズ・コレッジの前のパント乗り場に到着したときには、半袖でもいいくらいの気温でした。そこで、彼の友達3人と、5人でパントを借ります(パントというのは平底のボートのことです。どうやら学生証を見せると学割が効くらしい)。

c0105386_20374078.jpgケンブリッジとは、街をつらぬいて流れるケム川に架かる橋から来た名前だそうですが、そのケム川の川下りは街の風物詩。暑い時期には、真っ赤になってたくさんの観光客が舟をあやつり、ぶつかり合っていました。実際に乗ってみてびっくり。ボートだから当然ですが、不安定だし、動くたびにぐらぐらします。そして、想像よりも低いというか水面が近い。これは、バランスを崩すとひっくり返りそうです・・グランチェスターまで行くこともできるそうですが、今日はもっともオーソドックスなルート、街の南から川を下っていきます。まずは手慣れたPaulの竿さばきに感心しながら、ゆっくりとクイーンズの数学橋をくぐり、クレア橋に向かっていきます。キングス・コレッジの橋をくぐると、ケンブリッジの中でももっとも美しい、バックスから見たキングスとクレアの風景が広がります。右側に美しいコレッジ群、左側に緑。見慣れた光景ですが、舟の上からだと角度も違うし、すぐそばを一生懸命に泳いでいるカモやカナダガンを見ることもできて、またひと味違った楽しさです。

c0105386_20372365.jpg混雑を抜けたあたりで、変わろうか?ということに。やってごらん、と言われて、大きな竿を渡されます。平底舟をあやつるのは、長さ2mくらいのポール(竿)。日本の筏下りなら竹竿でしょうが、こちらのは木でできた大きな竿で、とにかく長いし重いのです。それを川底にさして、ゆっくりと舟を押していきます。理屈では分かるのですが、ポールがあまりにも重く、さらには水の抵抗もあるので、私がいくら必死でポールを突き刺しても、ほとんど舟はまっすぐ前に進まず、ななめ横に動いて川岸にぶつかるばかり。見かねてOmarが「次はこっちサイド、そうそう、次はこっちに変えて」と指示してくれますが、やっぱり進まず、最後には橋の下に舟が入ったとき、竿が川底に刺さって橋の下に入らず、竿でつっかえてしまいました。I'm stuck!と言うとみんな大笑いで、小さなオールで舟を戻してくれます。そこで疲れて交代。代わってくれた女の子はとっても上手に舟をあやつります。やっぱり慣れなのかしら、それとも欧米人の上背がいるのかしら。いずれにしても、いろんな舟にぶつかられたりしながら、ワインまで出てきて、楽しくため息の橋を越え、モードリン・コレッジが見える辺りまで進みました。そこでUターン。もう一人の女の子は、前にオックスフォードでパントをしたとき、川底に刺さった竿に捕まって落ちそうになったからと交代を固辞し、最後はOmarがゆっくりと舟をあやつって、戻ってきました。

1時間ほどのパンティング。パントはやっぱりケンブリッジ名物らしく、オックスフォードの川下りはちょっとこれとは違うそうですが、100年以上前に、ルイス・キャロルがアリスたちを連れて、アイシス川(テムズ川)を下った黄金の昼下がりは、こんなふうに、同じように、ゆったりとすぎていったのでしょうか。今日のパンティングの仲間に入れてくれた子たちは、みんなもうすぐケンブリッジを去るそうです。最後に、いいお天気になってよかったね。私も、初めてのパンティングで、明日は筋肉痛になりそうです。
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by ellisbell | 2006-08-28 20:35 | Cambridge life

白亜の絶壁

c0105386_20401088.jpg今日は、3,4日ぶりに晴れていました。青空を見たのが久しぶり。夕方には気温が下がり、今は雨が降っていますが(そしてついに私もヒーターをつけました)、いい季節は急ぎ足で去っていこうとしています。excursionができるのももうちょっとです。

日曜日に絶壁フェチとしてはどうしても行ってみたかった、白亜の絶壁を見に行ってきました。そう、イギリスの代名詞ともなっている、ドーヴァー海峡の白い壁です。(イングランドの雅名Albionというのもここから来たのだったと思います。)先週カンタベリーに行ったときに、ドーヴァーが近いことに気付いて、行きたい病が収まらなくなりました。正しくは、ドーヴァーそのものではなく、もっと素敵なその名もSeven sisters。なんとロマンをかき立てられる名前ではないですか、7つの白い断崖が連綿と海に向かってつきだしているのです。

イギリス東南部の海岸は石灰質の真っ白な断崖が続く景観地。白亜とは、英語ではChalkです。そう、あの白墨。辞書には泥質の石灰岩と載っています。(イギリスのお水がこんなに硬質なのも納得ですよね。どこもかしこも石灰岩です。)昔は船でしか移動できなかったから、ドーヴァーの白い壁を見てイギリスに帰ってきたことを実感するというのを何度も本で読んで、是非この目でその白い断崖を見たいとずっと思っていました。本当に白いのか。

ロンドンはまたもやヴィクトリア駅からイーストボーンへ。(ブライトンからも行けますが、今回はより近いイーストボーンを目指しました。)しかし今回は日曜だったせいか、ケンブリッジの駅切符売り場が混んでいて、慌てて飛び乗った電車はリヴァプールストリート行き(←間違い)。だいぶ時間をロスしてしまって、イーストボーンについたのはもう1時過ぎでしたが、そこはこぢんまりした田舎の港町でした。ケンブリッジにもある、石窯で割とおいしいピッツァを食べさせてくれるZizziを見つけて、ピッツァでランチ。それからバスでセブン・シスターズ・カントリー・パークを目指します。運転手さんに教えてもらうように頼んでおかなかったせいで、バス停一つ分乗り越してしまいますが、何とか到着。ガイドブックによると、ここから30分ほど歩くとのことです。

c0105386_2040466.jpg嬉々として歩き始めますが、運河のようなものを持つ一面の牧草地が続くばかりで、波の音も潮のにおいもしないので、いささか不安に。でも、ここまで来たので標識だけを頼りにどんどん歩きます。羊の群れの中を通り抜け、羊を囲う鉄条網を踏み台で超えながら、ひたすらビーチを目指します。30分以上歩いたかな、というところでいきなりビーチに到達しました。ビーチとは言うものの、南東部の海岸の特徴だそうですが、砂ではなく小石のビーチです。ものすごく歩きにくい上に、白亜=チョークですから、黒い靴がみるみるうちに真っ白に・・・靴の裏が真っ白になっているのには驚きました。しかし、下から見上げる白亜の絶壁は迫力があり、壮麗です↑。本当に真っ白だということに感激しました。

c0105386_20403090.jpgもちろん崖っぷち大好きの私としては、崖の上に登って素晴らしい眺望を楽しまずにはおれません。歩いている途中に分岐点がありましたが、そんなところまで引き返す手間が惜しくて、登れそうなルートを見つけて、芝に覆われた丘をむりやり登っていきます。足をすべらせたらこける上に真っ白になる・・急な上り坂+柔らかいチョークの足場で足もとが悪い上に、恐ろしい風が吹き付けてきます。崖っぷちってどうしてどこでもあんなに風が強いのでしょう。ようやく丘の上に上がると、あまりの強風で吹き飛ばされそう。思わずよろめくくらいです。しかし、やっぱり絶景でした。しっかり波のように続いている7つの丘も確認できます。風が強く、足場が柔らかいのですが、もちろん崖っぷちまで行って下の写真を撮りました。本当に真っ白です。ロンドンからわずか100キロほどで、こんなに違う景色になってしまうのですね。波の浸食によって、この崖は一年に30-40mのスピードで後退しているそうです。このような絶景がいずれ見られなくなるのは残念ですね。たぶん丸い小石で覆われたビーチというのも、砂になるまで浸食が待ってくれないからなのでしょう。大自然の驚異を感じました。たくさん、見たことのない景色というのがこの小さな国にはあるのですね。もちろん、日本もそうなのでしょうけれど。ロンドンもいいけれど、違った顔のイギリスもいいものです。今のように雨が降ると、ドーヴァーの白い壁への浸食がますます進んでいくのだろうなと思いながら、今も、ケンブリッジで、降り続く秋の雨を見ています。
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by ellisbell | 2006-08-26 20:39 | trip

ナショナル・ポートレイト・ギャラリー

c0105386_2043879.jpg最近、イギリスに来てくれる人に付き合ってロンドンに行くことが多いので、久しぶりに訪れる場所が多いです。

例えば、先日伯母たちを案内して、トラファルガー広場からウェストミンスター寺院、ビッグベンやロンドン・アイなどを久しぶりに見に行きました(時間の都合ですべて外側だけ・・残念!)。ロンドン名物ダブル・デッカーに乗って、ハロッズでお買い物、などという観光客コースも、10年以上ぶりです。それはそれで楽しい。ナショナル・ギャラリーは大好きなので何度も行っていますが、先日は、そのお隣にある、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーに行ってきました(変人さんが、ここに行きたいと主張しました。大英博物館よりこちらを優先する人も珍しい(笑)。でも、私は個人的には大英博物館よりこちらの方が好きです)。

その名の通り、肖像画ばかりが9000点以上集められた美術館。10年以上ぶりに行ってみると、リニューアルされて、明るいエントランスから3階までエスカレーターが直通で運んでくれる設計になっていました。3階はテューダー朝から始まります。リチャードだのヘンリーだの、歴代の王の肖像画をたどっていくと、たどり着くのはエリザベス一世。テキストでよく見る肖像画です。ひときわ大きく、豪華で、当時の彼女の権勢がよく分かる肖像画。イギリスの地図の上に立っているのが印象的です。ほかにもいろいろ知っている人の肖像がたくさん見つかります。テューダー朝では久しぶりにシェイクスピアに会えるはずだったのに、どこかに出張中で彫刻しか見られなかったのが残念。

c0105386_20432521.jpg2階に下がってくると、そこは18世紀から19世紀。政治だけでなく、文化、芸術面でも名を残した人々がたくさん並んでいます。もちろん上階17世紀ではミルトンやクロムウェルなどを見つけて喜んでいましたが、2階にはもっとたくさん知っている顔があって、ワーズワースだのバイロンだの、オースティンだのキーツだのを遠くから発見しては一人で満足していました。知らない顔の文人などは、しげしげと、そうか、こんな顔なのか、次に会ったときには覚えておこう、と見つめます。知り合いに会うようでとても楽しい。そして、もちろんブロンテ姉妹。これは姉妹の中で唯一の男の子だったブランウェルが描いたものですが、やっぱり上手な肖像の中で見ると、下手っぴさが際だっています・・かわいそうなブランウェル。肖像画家を志したのに、ロンドンでこのような肖像画に衝撃を受けて、どんどん人生を破滅させて行くのですね。

19世紀末からは写真も加わり、コレクションがどんどん充実していきます。肖像画というのが、いかに宣伝であったかを再認識させられます。そこに顔があると、それで人としての存在感が増大するのはすごいことです。そして昔は本当に地位のある人しか肖像画を残すことはなかったのに、時代が下がるにつれて、そして写真の登場によって、一般人も自分が生きたという証を残すことが可能になって行くのですね。もっともここに飾ってもらうためには、ある程度の知名度や社会への献身が必要なことはもちろんですが。1階に降りるとそこはもう、デフォルメされた現代絵画の一部としての肖像画の嵐。例えばエリザベス1世の肖像画が、彼女の権勢を広く世に喧伝しようとしたり、ヴィクトリア女王の肖像画が、彼女がいかに家族を大事にしているかを描いて、世の模範であることを宣伝して支持を集めようとしたように、肖像が宣伝として機能していた時代が終わりを告げ、肖像を描くという行為自体の意味がさまざまな形で問い直されていることがとてもおもしろかったです。その意味ではとてもラディカルな美術館ですよね。

この美術館をじっくりまわって、一番印象に残ったのは、この美術館の成り立ちがものすごくイギリス的だということ。ミステリと伝記を何よりも好むイギリス人らしい美術館です。肖像画の集合を見ていると、これはもはや芸術作品とかいうものではあり得ないと思います。だって、へたくそなものもたくさん飾られているのだもの。そしてそれぞれの人物画に、これは誰で何をした人かという簡単な説明書きがついています。つまり、この美術館は巨大な人物辞典なのです。イギリスらしい、特徴ある美術館です。一度に全部を見るのはしんどかったので、途中で地下のカフェで休憩し(ここのブラウニーはまあまあおいしかった)、再度展示室に戻りながらそのようなことを思いました。ちょうど特別展でビートルズをやっていましたが、まさに大量生産された商品としての20世紀らしい肖像画もここには含まれるし、テューダー朝のエリザベス女王も、そして現在進行形で、現代の画家の描いた肖像画も展示されています。人物をどう描くか、あるいは人物を描くというのがどういうことかというのが、時代の変遷によって変わっていくことを実感できる、面白い美術館だと再認識しました。そしてもちろん、イギリス人がいかに人物伝が好きかということも。私の連れの変人さんは、顔の上半分だけにかぶるお面を購入(これであなたもアン・ブーリンってヤツです(笑))。肖像画って、人のアイデンティティって、とてもソリッドで、とても流動的なものだと思いつつ、美術館を後にしました。おもしろかったです。
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by ellisbell | 2006-08-25 20:42 | culture

カンタベリー

c0105386_20453490.jpg時は4月ではありませんが、城壁に守られた大聖堂の街、カンタベリーに先日行ってきました。10年ぶりです。

カンタベリーと言うと、英語の父(でしたよね?)と呼ばれるChaucerのCanterbury Talesで名高い、英国最大の巡礼地。その名前を聞くだけで、院生時代、小さな教室の机を囲み、S先生の「古中英語」の授業で、のんびり穏やかに物語を読んでいったことを思い出します。そう、英語自体が中期英語で書かれているので、注はついていましたが、予習するのにもやたらと時間がかかったなぁ。私たちが、「枕草子」や「徒然草」の一部を暗唱できるように、英国人は「カンタベリー物語」の序章を暗唱します。"Whan that April"で始まる、あの序章です。(「ホワーン、サット、アープリル」と某英国人の先生は中期英語の発音で暗唱していたことを思い出します。)4月の雨が3月の乾きをいやし、植物に活力を与えるとき、人々はカンタベリーに向かって巡礼の旅に出るのです。今は同じ雨でも秋に向かう冷たい雨ですが、10年ぶりのカンタベリーは変わらず美しい街でした。

ケンブリッジからはまずロンドンのキングスクロス駅に出なくてはなりません。ハリーポッターで有名な駅ですが、ロンドンはヨーロッパのほかの都市と同じく、目的地の方角によって駅が違うので、イングランド南東部のケント州を目指すためには、ヴィクトリア駅まで出なくてはなりません。(昔行った時は、グリニッジのそばにいたので、チャリングクロスから行ったことを思い出します。)地下鉄で移動し、ヴィクトリア駅からドーヴァー行きで約1時間半。カンタベリーがこんなにドーヴァーの近くにあるということに、今回初めて気付きました。ロンドンから南東へ100キロ少し。昔は徒歩でゆっくり3,4日かけて巡礼したから、長い道のりだから一人ずつが物語をしましょう、というあの「カンタベリー物語」が成り立つわけですね。何のための巡礼かというと、もちろんカンタベリーには、現在では英国国教会の総本山である、カンタベリー大聖堂があるからです。現在では、というのは、これまたもちろん、チョーサーの時代には英国はカトリックだったから。(だから修道僧とか、修道女とかが登場人物で出ているのですよね。)しかし、何ともダイナミックな変化。カトリックの中枢から英国国教会の総本山になるとは。宗教的にだけでなく、政治的にも、歴史的にも、なかなかおもしろい場所なのです。

パンフレットによると、大聖堂は聖アウグスチヌスによって、6世紀後半に作られます。ノルマン・コンクエストの後、イングランド一の格を与えられたという記述からも、この大聖堂がカトリックの中枢であったことが裏付けられています。しかしそれ以上に、中世には、ヘンリー2世によって暗殺されたという、トマス・ベケットの死後に起こったとされるさまざまな奇跡が、この地を英国一の巡礼地にしました。(その辺りも聖人伝だの何だのと、カトリックですよねえ。)そして、その後に起こったヘンリー8世の宗教改革。国教会を起こしたヘンリー8世はすべての修道院も力のある大聖堂も閉鎖してしまったので、カンタベリー大聖堂が受けた打撃も大きかったことでしょう。さらには英国はピューリタン革命も経験していますから、その時にも大聖堂は苦難の道を強いられたはずです。しかし、今では国教会の中枢である大聖堂のパンフレットはそのような都合の悪いことはすべてとばしています。「宗教改革によって聖人崇拝などが一掃された後でも、中世の巡礼者を惹きつけた同じ信仰と献身が、このキリスト教会に世代を超えた崇拝者を惹きつけ続けている」とあるだけです。うーん、これだけ大きな組織になると、さすがに宗教も政治ですね。

c0105386_20462471.jpgさて、大聖堂。さすが国教会の総本山(ちなみにナンバー2はヨークの大聖堂)。美しく荘厳な建物です。そして、特徴的ではありますが、プロテスタントなのに中世そのままの美しいステンドグラスが教会を飾り、穏やかな聖人像が回廊に並びます。強大な力を感じさせる、荘厳な建物。しかし不思議にも威圧感よりも美しさの方が印象に残ります。トマス・ベケットが暗殺された場所には、今も3本の剣が示され、一度は取り壊された、ベケットを祀るチャペルも今では再び造られています。カトリックと国教会の奇妙な融合ですね。と、言うか、そもそも国教会自体がカトリックへの反発ではなく、ヘンリー8世の個人的な理由で行われた宗教改革ですから、たくさんカトリックとの共通点もあり、奇妙な宗派と言えるのでしょうけれど。地下のクリプトには多くの宝物が納められ、もちろんお墓もたくさんあります。ゆっくり時間をかけて大聖堂をまわり、出ようとしたところでオルガンの音が鳴り響きました。単なる練習のようでしたが、やはりこの雰囲気の中で聴くパイプオルガンの響きは素晴らしい。続いて聖歌隊が練習していたのか、コーラスも聞こえて来ます。音響も素晴らしいし、カンタベリーの聖歌隊もなかなか名高いので、思わずグレゴリオ聖歌とキャロルを買ってしまいました。そして、国教会の祈祷書も。黒装丁のなかなかきれいな装本です。それから、10年前に、カンタベリー・クロスという十字架のシルバーネックレスを買いましたが、それが同じく売られていたので、またもやサイズと色が違うものをゲットしてしまいました。ケルト文様とは違うのに、なんだか不思議な類似点があります。よく、お守りのように身につけているので、この日も小さいシルバーの方をつけていたら、大聖堂の売り場のお姉さんがニコッと笑って指さしました。(まさか二つも持っているとは思っていないでしょうけれど☆)

c0105386_20455796.jpgヘンリー8世が行った修道院解散のせいで、もともと大聖堂に付属していたベネディクト派の修道院も今では朽ち果て、趣のある雰囲気を添えています。(こんなことも10年前には気付かなかったなあ。)本当は少し離れたところにある、聖アウグスチヌスの修道院跡にも行ってみたかったのですが、ケンブリッジは遠いので断念。古い城壁都市によくあることだと思いますが、一般の人がたくさん城壁や大聖堂の横を通り抜けて生活しているのですね。廃墟となった回廊を歩いていると、学校があるらしく子供がそばを走って行きました。幾多の歴史の変動がありながらも宗教と大聖堂を中心に存在してきたこの街には、いまだ中世の面影がたくさん残っています。街中には大きなショッピングセンターもあるけれど、それが古い街並みと不思議に共存している、素敵な街でした。
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by ellisbell | 2006-08-24 20:45 | trip

The Orchard

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緯度の高い英国は、すっかり秋の気配です。

久しぶりに戻ってきたケンブリッジは、すっかり涼しくなっていました。アイルランドもずっと涼しかった(ところによっては寒かった)けれど、それは英国も同じだったそうです。7月の異常な熱波が過ぎ去ったら、もう、季節は急ぎ足で移り変わろうとしています。今の時期の最高気温は20度を少し超えるくらい。最低気温は12,3度ほど。にわか雨も毎日のように降り、朝晩はそろそろ冷え込んで来ました。日本の友達が毎日暑いというのが、いささかうらやましく感じられます。だって、まだ8月。最近の気温って、例年より低くない?と周りの友達に聞いても、「うん、今年の夏は短かったね」という返事が返ってくるばかり。もう、暑いという言葉が出ることはないでしょう。そう思うと、英国人があんなに日光浴をする気持ちがちょっぴり分かったりします。完全に、光が変わってしまいました。日本の暑い夏が、懐かしい。

私はあまり秋が好きではありません。日本にいるときから、暑い夏が好き。美しい紅葉やおいしい食べ物に彩られる秋は、好きな面もたくさんありますが、日が短くなって、どんどん寒さに向かっていくもの寂しい夕暮れが、何となく気持ちをめいらせます。春の、心がざわめく感じも独特ですが、秋の、すべてが冷たく沈んでいく感じも、毎年、ああ秋だなあとしみじみ思います。そして、どんどん日が短くなること。英国ではまだ8時過ぎにようやく暗くなり始めるくらいのものですが、1ヶ月前には9時半でも明るかったのに、と思うとやっぱり秋だなあと感じます。これから冬至まで、どんどん日が短くなり、長い冷たい冬がやってくるのです。(繰り返しますが、まだ8月です!今朝はメンテナンスのスティーブンが、ヒーターを入れてあげようか?と聞きに来ました!君の国とは全然気温が違うだろうから、だそうです。日本は熱帯ではないんだけどな・・・)

夏休みということで、日本から親戚や友達が来てくれて、うれしい再会。みんなこちらは涼しくていいね、と言いますが、私の実感としてはもう少し暑くてもいいなぁと思います。人が来てくれてようやく、ロンドンやケンブリッジの街を観光したりもするので、それはそれで楽しい。久しぶりにカンタベリーにも行ったり、ビッグベンの前で写真を撮ったり。改めてケンブリッジのコレッジ群に入ったり、街並みを眺めたりすると、なんと美しいところかと今更ながら思ったりもします。英国をまわった伯母たちに昨日、どこが一番印象に残った?と聞いてみたら、(お上手もあるでしょうが)ケンブリッジがよかった、と言ってくれました。コレッジの立ち並ぶcity centreから少し外れるだけでもこんなに美しい自然が残っているのは、やっぱりすごいですよね↑。前に来たときにもケンブリッジは緑のイメージがありましたが、今も、やっぱり緑の美しい街です。

c0105386_20485229.jpg先日は久しぶりにグランチェスターのThe Orchard(ティールーム)へ行ってきました。ここも絶対人を連れて行きたいところの一つです。ゆっくりと川べりのフットパスを歩いて行くと、前に歩いたときには、夏らしくキンポウゲやひなげしが咲いていた野原では、牛たちがゆっくり草をはんでいました。そしてフットパスの左右の木々は、もう、実をつけています。のんびり歩いてオーチャードに着くと、5月には花をつけていたリンゴの木が、もう果実をたくさんみのらせていました。まさに、Orchard(果樹園)ですね。時間もゆったりと流れるような、あるいは、時が19世紀で止まってしまったかのような、とても優雅な場所です。日だまりの中でスコーンを食べて、いろんなお話をするのは、とても素敵な午後の過ごし方ですよね。訪れるたびにさまざまな季節を感じさせてくれる場所。お気に入りのティールームです。

c0105386_20491760.jpg帰り道のフットパスで、たくさん実のなっているブラックベリーをつまんでみました。(こちらはベリー類がとても豊富でおいしいのですが、まだイチゴが売っているのが不思議・・そういえば、まだひまわりやフジやバラも咲いています。日本の5月くらいの気候が、多少の暑い日をのぞいては、ずっと続いているということなのでしょうね。)ブラックベリーは種も多いし、お砂糖を加えてジャムにするしかないと思っていたのに、酸っぱいだろうという予想を裏切る、甘くて柔らかい果実でした。完熟すると、おいしいのですね。くだもののおいしい秋。もうすぐリンゴもたくさん出回ることでしょう。
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by ellisbell | 2006-08-23 20:47 | Cambridge life

ハワース

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ずっと昔から、ずっとずっと行きたかった場所、ハワース。念願の、ヒースの花が一面にムーアを染める時期に間に合いました。

ベルファストから到着したのはリヴァプール。本当は、ビートルズの足跡を訪ね、美術館も訪れたかったのですが、フライトの予定が狂ったせいでその余裕はなし。しかしせっかくイングランド北部にいるのだから、強行でそのままハワースを目指します。今まで2回、近くまで行きながらたどり着けなかった場所。今度は、ハイシーズンにリベンジです。リヴァプールからリーズへ、リーズからキースリーへ(なぜKeighleyという綴りが「キースリー」と発音されるのかさっぱり分からん)、キースリーからさらにバスか蒸気機関車でハワースへ。長い道のりです。リーズはとても大きな街。さすが、北部工業地帯の目玉都市だけはあります。キースリーからは蒸気機関車に乗るべきか、バスで行くべきか、ちょっと迷ってとりあえず駅の外に出てみますが、バスステーションがどこにあるのかさっぱり分からず。通りかかったおばさまに聞いてみます。おばさまは、私もそっちの方向だし、わかりにくいから一緒に行ってあげる、と優しいお言葉(確かに15分は歩かないと行けない離れた場所でした・・)。道々お話をしましたが、アイルランドから帰ってきたというと、「私の国よ」とにっこり、教養あるきれいな英語を話される、とてもいい人でした。ブロンテを訪ねてきた、というと、ハワースまでは歩けますよ、と。シャーロットとアンはハワースからキースリーまで歩いたんですよね、と言った私に、私も歩いたことあるわよ、とおばさま。そんなに遠くないよ、1時間半位かしら、とまたまたにっこり。ウォーキング大好きの英国人(正しくは彼女はアイリッシュですが)の底力を思い知りました。しかし、おばさまのご親切はありがたくも、あまりに遠かったので荷物を運ぶ気がせず、結局、夏だけ運転されている保存鉄道の蒸気機関車でハワース入り。(機関車や駅の人たちもみんな優しくて親切。やっぱりイギリスは田舎がいい!!)

ハワースの駅も、例によって、街はずれにあります。ちっちゃな駅の売店で、"city map"をもらえるでしょうか、と聞いた私に、そこにいたおばさまは"CITY map??"と聞き返して来ました。"I'm sorry, a town map, or a village map?"と聞き返したら、にっこりと「これよ」と満足げにコピーされた略地図を差し出してくれます。うーん、イギリス人は田舎であることに誇りを持っているという原則はここでも通用。すさまじい石畳の坂を荷物を引っ張ってガタガタ上がっていくと、広がる街並み(村並み?)はとてもかわいらしいものでした。雰囲気のある素敵なところです。想像よりずっと美しい村でした。その日はもう夕方だったので、B&Bにチェックインして、ハワースのお墓を嬉々としてうろつきまわり、メインストリートを少し眺めただけ。夕食は、ブランウェルが飲んだくれていたBlack Bullというパブに行こうと決めていました。しかしさすが田舎、7時までしかご飯を出してくれず、あきらめてB&Bで本場のヨークシャープディング付きのローストビーフを賞味。でもブラックブルで飲んだビールは素晴らしくおいしかった☆(ブランウェルが飲んだくれていたのはジンですが、私はビールで十分。)

c0105386_2352923.jpg次の日、朝からムーアを散歩します。嵐が丘のモデルとなったトップ・ウィズィンズまでは往復10キロ弱。それは無理としても、せめて途中のブロンテの滝まではムーアを歩きたいと思ってウォーキングをスタート。名残惜しいお墓を右手に、細い道を抜けると、そこは一面に紫の花をつけたヒース↑。果てしなく続くヒースの野原に、激しく吹きすさぶ風。嵐が丘そのままの世界です。moorは普通、荒野と訳されるようですが、それからイメージされる荒れ果てた地とはまったく違います。土が痩せていて木などは育たないけれど、一面にこのヒースが咲き乱れているこの美しさには言葉を失いました。嵐が丘、私の原点とも言える小説の舞台。本当に、感激しました。あまりにも美しい大自然の風景でした。エミリが愛したムーア。ほとんど生涯ハワースから出ることなく過ごしたエミリ・ブロンテはいったいどこからあの激しい小説の着想を得たのだろうかと不思議に思いますが、この大自然あってこその「嵐が丘」だというのを身にしみて感じました。この大地には何かがある。この風景には、天才詩人に何かを吹き込むものがある。うまく言えませんが、それをひしひしと感じる場所でした。ところどころ、そういう場所ってあるような気がします。地霊のいる場所というか、地霊でなくても、呼応する才能を持った天才にインスピレーションを与える何かがあるところ。言葉を絶するほどの感激でした。激しい風に吹かれながら、ぎゅっとショールを身体に巻き付け、エミリの歩いた道を歩きます。同じ姉妹でもシャーロットやアンの小説にはこのムーアは全然出てこないのですよね。エミリのただ一つの小説は、このムーアだけが舞台となっているのに。小説の中で、病床のキャサリンが、熱に浮かされながら、もう一度あのヒースの咲き乱れるムーアに行きたいと切望するシーンがありますが、その気持ちが初めて分かったような気がしました。難解で謎に満ちた作品、十分に理解できないのは今もそのままですが、この地に行けて本当によかった。少なくともこの地が激しくエミリを惹きつけたことはよく分かりました。

その日のうちにケンブリッジに戻るつもりだったので、時間はなかったのですが、どうしてもトップ・ウィズィンズまで行ってみたくなって、ブロンテの滝を越えてどんどん歩き続けます。フットパスは途切れ、石垣を乗り越えて、遠くに一本だけ見える木を目指していくと、そこにその廃墟はありました。今はもう朽ち果て、羊がたくさん住みついています。囲われてすらいない羊。(ムーアには羊もいるのですよね・・ムーアが本当の意味で荒れ地ではないことと、陸の孤島のように思われているハワースが、産業革命の中心であった羊毛産業とも関わっていることの二つも実感されました。)エミリは何を考えながらこの道を毎日歩いたのでしょうか。私もいろんなことを考えながら10キロ弱の道のりを往復しました。本当に美しく、感激的な場所でした。また、絶対、行きます。季節を変えて、何度でも。

c0105386_2351766.jpg疲れ果ててハワースの村に帰還。もう2時前だったので、大急ぎでブラック・ブルでランチ。それからブロンテ姉妹のお父さんが司祭を務めていたパリッシュチャーチへ。思っていたよりもずっと美しく、また、大きな教会でした。またここの墓地は素晴らしくいい。静かで落ち着いた場所でした。ブロンテ達は地下納骨堂に眠っているので、実際にそのお墓を見るという訳にはいきませんでしたが、この下に納骨堂があるという碑をちゃんと見てきました。やっぱりひとりぼっちで眠っているアンに会いに、スカーボロまで行かなきゃならないなあ・・それからブロンテ博物館へ。これまた思っていたよりもずっと明るくてきれいな家でした。伝記を読んで、毎日部屋から墓地を眺めて過ごした陰気な家だと思っていたのに・・数多くの遺品やシャーロットの衣装など、ああ、これはあの時のものだなぁと伝記訳者(の一員)ならではのマニアックな感激(笑)も覚えながら一周しました。暗くなる前にケンブリッジに帰りたかったので、あまりゆっくりできませんでしたが、初めてのハワース、感激的な訪問でした。今度は、もっと荒れ果てた荒野を見に行きたい。またすぐ来るぞ、と思いながらの帰路でした。

帰りはキースリーまでバス(昨日のおばさまの教えてくださった道が役に立ちました!)、キースリーでケンブリッジまでの切符を買い、キースリーからリーズ、スティブニッジ、そしてケンブリッジと乗り継いで帰ってきました。結局合計10日間。長い間家を離れていましたが、どこもそれぞれに印象深く、素晴らしい旅でした。一生思い出に残ることでしょう。疲れましたが、時間が戻るなら、もう一度、同じルートで同じことをしたいと思う、満喫できる旅行でした。
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by ellisbell | 2006-08-22 23:04 | trip

アイルランド(再びベルファスト編)・・しつこい

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このような事情で、再びベルファスト市内に舞い戻ってきました。本土に戻るつもりだったからノースリーブにカーディガンという軽装、寒い!!

再度チェックアウトしたばかりのホテルに戻ります。まだお昼前。もちろんお部屋の準備はできていませんが、「隣のパブで休憩しながら30分ほど待ってくれたらできるから、あ、荷物はこっちで見とくよ」と、受付のお兄さん。ちょうどお昼の時間だし、とりあえずニュースを見たいので、そうしようと話を決めて、ホテルのパブでお昼を食べていたところに、朝の受付のお姉さんが大きなおなかを抱えて通りかかりました。「どうしたの?飛ばなかったの?」と驚くお姉さんに「キャンセルされてねえ」と言うと、「私が電話した後にそんなことになるなんてねえ」と同情してくれ、すぐにルームキーを持ってきてくれました。「その代わりベルファストをもう一日楽しめるから」と言った私に「このお部屋はいいお部屋よ、少なくとも私は好きよ」と渡されたカギには、部屋番号の代わりにO'Neillと書かれています。なんと、スイートルームでした。しかも料金は普通のお部屋とまったく同じ。捨てる神あれば拾う神あり(笑)?(それにしても、このホテルThe Crescent Townhouse Hotelは、とても素敵なホテルでした。向かいのパブが多少夜にうるさいことをのぞけば、きれいだしスタッフも感じがいいし、ベルファストにまた行くことがあれば、是非訪れたいホテルです。ジャイアンツ・コーズウェイのツアーを聞いたら、わざわざ受付のお姉さんが歩いてツアーデスクまで行って、予約をしてきてくれるような親切なホテル。小規模なホテルはいいですね☆)

c0105386_2384726.jpgホテルの部屋に落ち着き、コーヒーを飲みながら(ここはイギリスですから、ちゃんとお部屋にティーセットがあります♪アイルランドはなかった・・・)ニュースを再度確認。テロが未遂であったこと、空港の混乱はしばらく続くだろうということが分かります。次の日のフライトも心配ですが、仕方がないのでこの日はベルファストの有名な政治壁画を見に行くことに決定。これも見たかったけど時間切れだったものですから、逆に時間ができてよかったのかも。テロで足止めを食っている間にそのような政治的不穏の現場を生で見に行くというのもやっぱり運命的。多くは観光地ではないベルファストの街の西部にあるので、自分では行けず、乗り降り自由の観光バスに乗って見に行きました。くるっと1周1時間半ほどのツアー。いろいろな見所を説明してくれますが、北アイルランド特有の抑揚のある英語ガイドさんです。途中から見えてきた壁画は、想像していたのとはまったく違う、カラフルで大きな壁画↑。北アイルランド問題は一進一退で、最近IRAの武装解除が伝えられましたが、未だにカトリック、プロテスタント双方に急進派もおり、過去の話ではありません。カトリック系の住民とプロテスタント系の住民が、アルスター6州の帰属を巡って今も対立しているのです。ブレアさんは地方分権を推進していますから、いったんは北アイルランドにもある程度の自治権を認めたのですが、さまざまな事情で今はその自治権が取り上げられています。本当に難しい問題ですよね、北アイルランド問題も。c0105386_2383331.jpg現にこの通りは普通の通りに見えますが、この通りを挟んで片側が100%プロテスタント、片側が100%カトリックとはっきりと区別されているそうです。地域によって、英国のユニオンジャックが翻っているところと、アイルランドの三色旗が翻っているところがあることが、印象的でした。しかし、街の南側に来るに従って、もはや隣の人の宗派など気にせず、お互いに共存している地域もちゃんと存在すると説明されました。政治的問題は難しいけれど、IRA(アイルランド共和軍、独立派)やUVF(アルスター義勇軍、残存派)のような暴力行為では何も解決されないのですから。この色鮮やかな壁画も、本当に印象に残りました。今回のアイルランド旅行、いろいろなものを見て、いろいろなことを感じましたが、これも見られてよかったとしみじみ思った光景でした。(何回乗っても料金は同じなので、なんと2周もしてしまいました!)その後は、ちゃんとクラウン・リカー・サルーンを予約してご飯も食べられたし☆

心配しましたが、次の日の朝、無事にブリテン島に戻ることができました。フライトは8時10分発の予定が、2時間以上遅れていましたが、何とか戻ってこられたから一安心。それでも手荷物すべて不可という異常事態ではありました。しかし、振り返ってみると、素晴らしいアイルランド旅行でした。アイルランドはやっぱり田舎なのですね。ダブリンでさえ、ロンドンのような大都会ではなく、大きな街というだけの、暖かみの残る街でした。人も親切で人なつっこく、食べ物もジャガイモばかりではありましたがおいしかったし、とても素朴な国でした。英国と似ていると英国人を含めいろんな人に言われたし、読んだりもしましたが、実際には空気が全然違う国だと思います。やっぱりアイルランドはアイルランドなのです。独立した、一つの、素晴らしい文化と風土を持った国なのですね。荒々しい自然と、素朴な人々と、古い古い、いにしえの伝統文化を持った印象深い国でした。

この後はリバプールから強行で、あこがれのハワースに向かいます。まだまだしつこい旅行記は続きます(笑)。だってせっかくイングランド北部に来たのだし、すぐにケンブリッジに戻るのはもったいないんだもの。8月、ムーアはヒースの花盛りのはずです。
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by ellisbell | 2006-08-20 23:07 | trip

アイルランド(北アイルランド編)

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ダブリンで車を乗り捨て、一路、電車で北アイルランドへ。

その前に午前中はダブリンの作家記念館を見て回りました。アイルランドの作家というとそれほどたくさん思いつきませんが、実際に見てみると「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スウィフトをはじめ、知っている名前がずらり。もちろんジョイスも、オスカー・ワイルドも、私の大好きなゴシック作家達(偏愛する吸血鬼ものを書いてるレファニュとか)も、もちろんショウ、イエイツ、ベケットなどのノーベル賞作家たちの遺品もたくさんあり、それぞれオーディオガイドを聞きながらゆっくり見て回りました。(同じノーベル賞詩人なのに、ヒーニーがなかったのはダブリンと関係ないからなのでしょうか・・そういや、ラフカディオ・ハーンも写真だけが通路にちょろっと飾られてるだけで、かなり虐げられてました。ハーンは英文学史上でも日本文学史上でもちょっと異端扱いでかわいそうですよね。)中でも感動的だったのは、ジョイスの声が聞けたこと。英語のオーディオガイドだったので、ジョイス自身がフィネガンズ・ウェイクの一説を朗読したレコードの音声を聞くことができました。思ったより高めの声。さすがはフィネガンズ・ウェイクで、何を言っているのかはさっぱり分かりませんでしたけど(苦笑)。

そして、ダブリンのコノリー駅から電車に乗ります。ベルファストまでICのような特急電車で2時間ほどです。検札はどうなるのだろう、国境越えはどうなるのだろうとワクワク。電車で国境を越えるときにはいつも電車のスタンプを押してくれるから今回も楽しみです。が、結局誰も来なかった・・・テクニカルには、私はまだアイルランドにいるってこと??これでいいのかイギリス入国管理局!!ほかのEU諸国に比べて厳しいとされる英国の入管ですが、アイルランドとは協定があってかなり緩やかだというのはやはり事実のようです。アイルランド入国の際にはパスポートにスタンプ押されたんだけどな・・・ともあれ、ベルファストに着いて第一声は「寒い!」ダブリンや西の方も寒かったですが、ベルファストはさすがに北だから、お昼間なのに気温が16度。8月の頭ですよ・・雨が降っていて本当にふるえました。タクシーでホテルに向かったら、表示はポンド。そうですよね、今までユーロだったけど、北アイルランドは英国領です。英国に戻ってきたのです。

c0105386_5282072.jpg地図を見たら北アイルランドのインフォメーションセンターとアイルランドのインフォメーションセンターは違う場所にあります。そう、ベルファストというと、IRAの本拠地としてのイメージが強く、テロの影がさす暗い街という先入観をぬぐい去ることができません。何となく街自体も重苦しい感じがするし、雨のせいかしまっているお店も多く、何となくうそ寒い第一印象でした。アルスター銀行の本店や、アングロ・アイリッシュ銀行などという聞いたこともない銀行も通りに並んでいます。やはりカトリックとプロテスタント、ケルト系とアングロ系が対立している本場というイメージがますます強くなります。写真はベルファストで一番有名なホテルである、ヨーロッパ・ホテル。私の泊まったホテルのフロントで地図をもらった時、受付のお姉さんもこういいました。「これが有名なヨーロッパホテルよ、ほら、あの一番いっぱい爆撃を受けたところ。」そう、イギリス系資本の象徴として、隣にあるグランド・オペラ・ハウスと並んで何度もIRAのテロ攻撃の標的になったホテルです。アイルランドをまわっていると、ふとしたところで、いかにイギリスがアイルランドに残虐な植民行為をしたのかを思い知らされます。そしてアイルランドの誇り高き民族がいかに英国支配を苦々しく思ってきたのかも。ゴールウェイで泊まったカントリーハウスのGeorgeも、ブロンテが専門だと言った私にシャーロットの新婚旅行先がすぐ近くだったと教えてくれたとき、北アイルランドだと思ってたわ、と言った私に対して「ああ、アイルランドは昔は、当然一つだったんだよ」と言っていました。私自身の無神経な言葉を恥じ入った瞬間でした。

しかし、それは、おそらく過剰反応だったのかもしれません。ヨーロッパホテルの隣にあるヴィクトリア駅の説明書きを立ち止まって読んでいたら、そこでお客さんを待っていたタクシーの運転手さんが声をかけてきました。「君、歴史を読んでるの?」(ちなみに、アイルランドの英語はとても聞きやすく、少しアメリカ英語に近いような気がしました・・英国人の友人もそれには賛成してくれました。北アイルランドに来ると、英語がまたもや地方アクセントの強いイギリス英語になり、彼と話をするのにも一苦労。)ベルファストはとてもいいところだ、ロンドンなんかの方がよっぽど危ない、と力説するおじさん。確かに、そのおじさんにしても、ホテルの従業員さん達にしても、ベルファストで会った人々は親切でフレンドリーで、アイルランドの人たちと何ら変わりはありませんでした。そう、ベルファストというととかく私たちはテロとばかり結びつけてしまいますが、ごく普通の街なのです。イメージしていた空の暗さはその通りでしたが、それ以外はとても意外なことに、危ない街という印象はまったくありませんでした。

c0105386_5291091.jpg次の日には、北アイルランド唯一の世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイに英語のツアーバスを予約して乗っていきます。これまた絶壁を巡る旅。まずはナショナル・トラストの管理下にあるキャリック・ア・リードという吊り橋を目指します。これまた険しい断崖と、小島を結ぶ吊り橋なのですが、橋は一度にふたりずつしか渡ることができません。かなりこわそう。ワクワクしていたのですが、残念なことにこの日はあまりの強風のため、吊り橋は危険すぎて閉鎖。これまた、前日のニューグレンジと同じく、目前に涙をのみました。渡ってみたかった・・気を取り直して、ブッシュミルズというアイリッシュ・ウィスキーの蒸溜所へ。ものすごくおいしいウィスキーで、私も知っていたので、これも楽しみでした☆実際にここで蒸溜されているらしく、麦汁(wort)のにおいの立ちこめる中、蒸溜の過程を見て、ウィスキーを試飲。案内してくれたガイドさんに「なぜ氷なんか入れるんだ!」と怒られつつ、スッキリしたおいしいウィスキーを楽しみました。それからジャイアンツ・コーズウェイ↑。本当に奇観です。六角形の石柱が、海の中からごつごつと着きだしている様は、とてもおもしろい眺めでした。これは大昔に巨人が作った土手道だという伝説から来ている名前ですが、荒々しく吹き付ける潮風にあらがうように立つたくさんの六角柱を見ていると、大自然の不思議さをまざまざと見せつけられる思いでした。人間にはこんなものは絶対に作れませんよね。(なぜこんなものができるか。ガイドブックは解説してくれてますが、まったくさっぱり分かりません。水を抜いた水田に六角形のヒビがたくさん入るのと同じ原理だそうです。)ベルファストに帰って、もっとも有名なパブ(ナショナルトラストが管理しているらしい建物にある)クラウン・サルーンに行こうとしましたが、予約でいっぱいであきらめ、隣のロビンソンズでディナーを食べて、アイリッシュ・コーヒー(コーヒーに生クリームを入れ、たっぷりアイリッシュウィスキーを注ぎます☆)を楽しみました。ベルファストの街をあまり見られなかったのは残念でしたが、さまざまなもの、いろいろな風景が見られて、本当に心に残るアイルランドの旅でした。これで、アイルランドへの旅は終わり。イギリスに戻ります。

いや、戻る、はずでした。しかし、この日の夜中に、例の、テロ未遂事件が起こります。詳細は、次の日記で。
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by ellisbell | 2006-08-19 05:27 | trip


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