Under the English Sky


英国、ケンブリッジでの生活で感じたことを書いていこうと思います。
by ellisbell
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カテゴリ:literature( 11 )

Becoming Jane

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映画、"Becoming Jane"を観てきました。

先日のWorld Book Dayの投票でも、数ある古典を抑えてトップに立った「高慢と偏見」を書いたジェイン・オースティン。19世紀の初頭に書いた6冊の小説によって、今も愛される英国の作家です。もっとも平凡でありながら、もっとも英国らしい、穏やかでウィットの効いた素晴らしい作家ですが、この映画は、彼女の人生を特に恋愛に焦点を当てて描いていました。

英国南部ハンプシャーの美しい田舎で生活している穏やかな牧師の娘、ジェインを演じるのはアン・ハサウェイ。活発で、皮肉が好きで、自分の意見をはっきり持った彼女は、ものを書くことが好きで、密かに小説家になりたいという夢を抱いています。姉カッサンドラは婚約し、ジェインの周りにも数人彼女を崇拝する男性がいるのですが、ジェインはその中の誰にも惹かれることはありません。そこにロンドンからやってくる法律家の卵の青年。最初はお互いに反発を覚えつつ、少しずつ二人が惹かれ合っていく様子が、細やかに描かれて行きます。そう、この映画を観てすぐに気付くのは、作家の人生が「高慢と偏見」のストーリーと重ねられているということ。「恋に落ちたシェイクスピア」は素晴らしい映画で、見事に「ロミオとジュリエット」のパスティーシュとして機能していましたが、仕掛けとしては全く同じ。若き日のシェイクスピアが、実際のかなわぬ恋をロミジュリの悲劇に昇華させるプロセスを、「恋に落ちたシェイクスピア」が映画として作り上げたように、オースティンも自らの経験をヒントに小説を書き上げていく設定で、物語が進んでいき、18世紀末から19世紀初頭の英国の田舎村の社交生活を舞台に、ひとりの女性として幸せを模索するジェイン・オースティンが描かれていました。

----以下、もしかしてちょっとネタバレ??-------

もちろん映画化するにあたって、オースティンの伝記や周囲の風俗には入念な注意を払いつつ、フィクション化した作品だとは思いますが、オースティンを「高慢と偏見」のエリザベス・ベネットにそのまま当てはめるという設定は、少し無理があるのではないかと思います。当時の女性がいかに生きるかという大きな問題も諸処で取り扱われていますが(もちろん、それがオースティンの小説の一番大きなポイントですから!--ただし彼女の小説の中では、それは常に結婚として出てくるのですが)、少し取り扱いが中途半端な気がします。例えばいかにもオースティン的な、田舎の貴族からの結婚申し込みを拒絶するジェインに対して、娘の幸せを願う母親が、"Affection is desirable, but money is absolutely indispensable!"と激して言う場面がありますが、まさにこれこそが「高慢と偏見」の世界。オースティンの穏やかな作品世界では、法的に財産権のない当時の女性が、結婚という手段でしか生き残れないという根本的事実は、揺るがないものとして扱われていますが、それに対して「愛情」を叫ぶこの映画のジェインは、完全にロマン派的な人物造形として描かれていて、彼女らしい予定調和的世界を乱す結果になっているように思いました。これでは、オースティンは激しい、反抗的な、そして恐るべきロマン派の自我を持ったジェイン・エアになってしまいます!ウィットに富んだ言葉が映画のあちこちで美しく使われているのは、とてもオースティンらしくて素晴らしい脚本だと思いましたが、あまりにも恋愛に重点を置きすぎた点で、オースティンの作品世界の穏やかさが損なわれているように思いました。(そしてオースティン自身のイメージも、ちょっと違ったのが残念。アン・ハサウェイが演じるオースティンは、やっぱり元気すぎるような気がします!一種予定調和的な諦念--resignation--は、やはり彼女には必要なのではないのでしょうか。)

今が旬とも言える、ジェイン・オースティンという作家が、逆に現代にどのように捉えられているか、あるいは彼女のどういう面が受け入れられているかという点を考えるには、とてもおもしろい映画だったと思います。そして、同じく恋愛映画になった"Miss Potter"が、湖水地方の美しい自然を強調していたのに対し、"Becoming Jane"はやっぱり社会、そして言葉が大事にされていたのもおもしろいところだと思いました。
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by ellisbell | 2007-03-13 05:31 | literature

ハイゲイト墓地

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今週は気温が下がっている英国。

ようやく冬らしいお天気になってきました。"proper wintry day"という言葉がお天気予報で聞けるくらいです。さすがに氷点下にはなっていませんが、最高気温も5度前後で、今日は外出すると空気が冷たく感じられました。自転車で走ると耳が痛いというのも久しぶりです。明日は、予報では、雪。子供のように、雪が待ち遠しいです。

先日、ロンドン郊外のハイゲイトにある墓地を訪ねました。地下鉄ノーザン・ラインで、北に上がっていったゾーン3にあります。教会付属の墓地ではなく共同墓地ですから、広い面積の中にいくつもの小道があり、様々な形や宗派のお墓があります。古びた教会の墓地をゆっくり歩くのも好きなのですが、ここは初めて訪れました。小雨の後だったので、残念ながら、舗装されていない道はぬかるんで、歩きにくかったのですが、おかげで柔らかい光の中でいくつか文人のお墓を見ることができました。そう、ここは、カール・マルクスのお墓があることで有名な墓地なのです。

この広い共同墓地は二つに分かれていて、西側は個人で訪れる人は入れないことになっています。東側の敷地に入ると、受付に座っていたのは陽気なおじさん。お目当てのお墓を訪ねてみると、親切にあれこれと教えてくれました。広々とした敷地にはケルト十字もあればオベリスク型のお墓も、中国式のお墓もあり、教会付属の墓地とは違った雰囲気です。パリにもたくさん文化人が眠るお墓がありますが、ショパンの眠るペール・ラ・シェーズを思い出しました。小道を、言われたとおり左に曲がったところで目に入ったのは、大きな石像を乗せた墓石。誰のお墓かしら、と近づくと、これがマルクスのお墓でした↑。そう、ドイツ生まれのユダヤ系哲学者である彼は、ここロンドンでその思想を固めて行くのですよね。大英図書館で彼が仕上げた集大成が「資本論」。英国をはじめとした民主主義国に影響を与えるつもりで書かれた論が、彼自身も予期していなかったロシアで実現し、様々な形で悪用されることもあるとは、興味深いことですね。

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そして、もうひとり、お目当ての人物は、マルクスのお墓から少し外れたところにひっそりと眠っていました。ジョージ・エリオットです。マルクスのお墓の反対側に、英国の哲学者ハーバート・スペンサーのお墓があったことにも驚きましたが、結婚を噂されていながらスペンサーに拒絶されたエリオットを思うと、死後、彼らがこんな近くに葬られているとは、何となく皮肉な気がします。彼女は、ウェストミンスターに葬られることを望んでいましたが、当世一の大作家、モラリストになりながらも、ヴィクトリア朝の厳しい社会の中で、妻子ある男性と駆け落ちしたという理由から、ウェストミンスターに埋葬を拒絶されるのです。同じく素晴らしい名声を得たディケンズが、私人として普通の墓地に葬られることを希望したにもかかわらず、ウェストミンスターに葬られたことを考えると、とても皮肉なことですね。花もない小さなお墓に入った大作家を思いながら、帰途につきました。
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by ellisbell | 2007-01-24 05:22 | literature

Never Let Me Go

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カズオ・イシグロのNever Let Me Goを読みました。

イシグロといえば、ブッカー賞を取って映画化もされた「日の名残」が有名な日本生まれの英国人作家(今は帰化しているはずです)。"Never Let Me Go"も、2005年のブッカー賞のファイナルまで残った作品ですが、とても重いテーマを扱いながら、引き込まれてしまう、イシグロらしい世界でした。

喪失感と切なさに満ちた物語。今までのイシグロの作風とはテーマは少し違うのですが、独特の世界を繰り広げる口調は、さすがにみごとだと思いました。この物語は一人称で、過去を思い出しながら出来事をつなげていく形で語られているのですが、その語り方がとても上手だと思います。最初の数ページははっきりと事態がつかめないまま読み進めて行くことになりますが、次第に芋づる式に、語り手がいろいろな出来事を思いだしていくにつれて、状況の特異さがあらわになっていき、読者が漠然と感じている不安が現実となっていくのです。長崎生まれの彼は、ほとんど日本語を話せないそうですが、何と言っても非常に美しい英語でしっとりとした独特の世界を織り上げていく彼の小説は、読者を物語の世界に引き込む力を持っていると改めて実感しました。page-turningとはまさにこのことです。

もちろん、読者に最初に不安を抱かせて、その謎を解いていくようなサスペンス的手法を使っているなどという、テクニカルな面でも彼の技術は卓越していますが、それ以上に彼の描いている、静かな、悲しみに満ちた世界は本当に胸を打つものがあります。数人の若者たちの関係を描きながら、人間の存在とはいったい何か、記憶とはいったい何かという大きな問題をゆっくり考えさせてくれる作品。一人称の語り手が自分と、友達や恋人との人生を語る、その抑えたトーンが、イシグロ独特の静かな切なさを持って読者に迫ってきます。プロットや状況説明のおもしろさもさることながら、その口調で独自の世界に読者を引き込んでいくその力が、イシグロの素晴らしさだと思いました。喪失感と切なさに満ちた物語ですが、不思議に絶望は後に残らないのが驚きです。絶望的な状況で物語は終わるはずなのに、絶望とニヒリズムではなく、読者に深く深く人間存在の状況を再考させる方向に、彼の物語は進んでいきます。今まで読んだ彼の作品の中で、もっとも好きな作品かもしれません。感動と呼べるかどうかは分かりませんが、余韻がしばし消えない、素晴らしい作品でした。
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by ellisbell | 2007-01-23 04:48 | literature

「不思議の国のアリス」

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ロンドンに、English National Balletの公演、Alice in Wonderlandを見に行ってきました。

c0105386_7141317.jpg今日は日帰りのロンドン。50分でロンドンに着きますから、便利なものです。友達と待ち合わせて、お昼は中華街で飲茶をいただきました。久しぶりの飲茶、おいしかったです。食べ過ぎで眠くなるのを防ぐため、しばらくコヴェントガーデン周辺を歩き回って、目的地、London Coliseumに向かいます。ナショナル・ポートレイト・ギャラリーのお向かいにある大きなホール、今の演目は「不思議の国のアリス」。バレエで「アリス」なんて聞いたことがなかったので、とても楽しみにしていました。きっと英国のモダン・バレエだろうと思っていたら、何と楽曲はチャイコフスキー。?が頭を飛び回っていましたが、席に着いてプログラムを広げてようやく納得。チャイコがもともと「アリス」のために曲付けをしたわけではなく、バレエにアレンジする際に、チャイコの曲を使ったということでした。マチネのせいもあり、精一杯着飾った子供たちもたくさん来ていました。きっと未来のバレリーナを夢見ているのでしょうね。ほとんど女の子たちで、可愛らしかったです。

c0105386_7145885.jpg最近ロンドンのあちこちで宣伝されているのは、冒頭に出した、このかわいらしいアリスのポスター。私たちがイメージするアリスの通り、ブルーの服に白のエプロン、そして金髪のアリスです。バレエですから台詞はなく、舞台装置も驚くほど派手なものはありませんでしたが、よく知られた物語だけあって、かなりヴィジュアル的にもイメージ通りの舞台が作り上げられていました。ほとんどのキャラクターがきちんと着ぐるみを着て、美しく踊りあげるのには、さすが!と思いました。内容としては、バレエとして初演されたのが1953年ですから、クラシックバレエ的な美しさと、モダンなダンスパフォーマンスがバランス良く組み合わされていて、素敵な舞台でした。また舞台照明の色遣いとハイライトの当て方がとてもうまくて、ダンサーの動きに、例えば緑色の照明が組み合わされることで、「ああ、彼はイモムシだ」とすぐに分かるように作り上げられています。(イモムシさんのパフォーマンスが最高に美しい動きでした♪)夢の中なのでナンセンスな部分を舞台の上で視覚化するのは難しいと思いますが、良くできた演出だったと思います。

ただ一つ違和感があったのは、とてもとても美しい舞台だったこと。バレエですから、本当にすべての動きが美しく、どんなに奇妙な生き物の衣装を付けていても、いったん踊り出すととても美しいのです。バレエとしては、だから、素晴らしかったのですが、原作のグロテスクな部分が出ていなかったのが少し残念でした。アリスは何と言っても、「言葉」が重要な物語だと思うのです。その意味で、身体ですべてを表現することに、もちろん素晴らしい芸術表現ではありましたが、アリスの物語としては少し違和感を感じました。ただ、アリスの物語は、よく知られているように、キャロル自身が挿絵をつけて最初に書きましたし、出版の際にもジョン・テニエルとしつこく協議してテニエルの挿絵をつけて出版しました。その絵も物語と同じくとても重要な「本の一部」だし、その意味ではヴィジュアルもとても大事な部分なのですよね。そしてテニエルの挿絵のグロテスクさもある程度は表現されている舞台ではあったのですけれど・・・やっぱり美しかったです。

バレエを嫌ったルイス・キャロルは、さて、この素敵な舞台をどう思ったでしょうか。
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by ellisbell | 2007-01-04 07:15 | literature

Because I could not stop for Death

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今日、12月10日はアメリカの詩人Emily Dickinsonの誕生日です。

いろいろな偶然が重なって、ふと思い出しました。偶然というのは、まずは妖精。最近、友達との間に妖精のお話が出ていて、それで思い出したのがテレビドラマ--先月、ハワースに行ったときに初めて見たBBCのドラマ、Torchwoodです。こちらでもほとんどテレビは見ないのですが、夕方すぐに真っ暗になってしまってすることもないハワースの夜、お昼間に本に囲まれていましたから読書をする気にもなれず、ぼーっとテレビを見ていました。Torchwoodというのは、BBC Walesが製作しているscience/crime dramaです。架空の犯罪捜査組織Torchwoodが、さまざまな科学的(そして非科学的)手段を用いて、人間や人間でないもの(!)による犯罪を追いかけます。こちらのテレビでは夜9時を過ぎると、子供に見せるのは気をつけてね、という番組を放映しますから、結構殺戮シーンなどがあって怖いのですけれど・・・学校や継父によっていじめられている可愛らしい女の子に「新しいお友達」ができるのですが、このお友達は彼女を困らせる相手を次々に殺していきます。そして最後にはこの女の子はその「お友達」の種族に入ることを選ぶのですが・・・そう、そのお友達は怪物的エイリアンなのです。そして、このエイリアンの設定は妖精を強く意識していました。(さすがウェールズ!妖精が、可愛らしい子供を誘って仲間にするなどというモチーフもそのままですよね。)

そのままこのドラマのことは忘れていましたが、先日妖精のお話がmixiで出た日が、ドラマの放映日だったので、ふと思い出してテレビをつけました。その日の物語は、死者をよみがえらせる話だったのですが、その死者が実は死ぬずっと前から蘇りをかけてプログラムを仕掛けておくという設定。そのプログラムに使われていたのが、Emily Dickinsonの詩だったのです(あー、長い説明だった)。謎に満ちた、私の大好きな作品、"Because I could not stop for Death"。「私は死のために立ち止まることができなかったので、死が私のために親切にも立ち止まってくれた」で始まる詩。マサチューセッツ州アマーストに生きて、そしてその地でなくなった詩人ですから、(彼女自身の信仰はともかくとして、)とても宗教的なモチーフが多いのですが、この詩も死というものを「死との結婚」というイメージでとらえています。ひとりの人間は死を迎えますが、人類としての全体の人間は、死を超えて世代が続いていくという円環のイメージでつづられます。東洋的な思想でもありますよね。誰にも知られず、今で言う引きこもりのような状態になって、自分のためにだけ詩を書き続けた独創的な詩人。久しぶりに読み返したくなりました。

写真は、ハワース牧師館のステンドグラスです↑。
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by ellisbell | 2006-12-11 01:55 | literature

My Fair Lady

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今日のケンブリッジは久しぶりの晴れ間。

お昼に待ち合わせて行ったのは、city centreのAuntie's tea shop。サンドイッチとスコーンのセットをいただきましたが、ここはボリュームたっぷりでいつも食べきれず、今日もお持ち帰りしてしまいました。いかにも手作りといった大きなスコーンを持って、でも今日は直帰せず、まずはマチネの観劇です。演目は、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」。ケンブリッジのArts Theatreでやっています。ここはcity centreにあるこぢんまりとした劇場です。2時過ぎに入ったところ、周囲にはたくさんのお年寄りが座られていました。そして子供たち。誰でもマチネを気軽に見に来ているのがいいですね。コンサートなどもそうですが、舞台芸術が何ら特別なものではなく、誰でもが楽しんでいるのがこの街のいいところです。土曜日ということもあって、ぎっしりと席の埋まった満員の舞台でした。

いよいよ始まり。オーケストラがテーマソングを奏で始めると、後ろの女の子達がハミングを始めます。みんなよく知っているのね、と思っていたら、彼女たちは途中から実際に小さな声で歌ったり、手を叩いたりと楽しんでいる様子。「マイ・フェア・レディ」はとても愛されている舞台なのですね!物語はよくご存じの通り、花売り娘のイライザのコックニー訛りを、音声学の教授であるヘンリー・ヒギンズがうまく矯正して上流階級の人々をだませるかどうか賭をするというもの。最初の場面は、まさに先日ロンドンで訪れたコヴェントガーデンです。cockneyとはSt Mary-le-Bowの鐘の音が聞こえる辺りで生まれた人たちがしゃべる言葉とされていますが、れっきとした下町言葉(寅さんがしゃべってる浅草弁と同じかしら?)。これも言葉が階級を表す英国文化を背景にした劇です。下層階級の花売り娘が、訓練して素晴らしいRP(あまりに素晴らしすぎて、「彼女の英語は完璧すぎて英国人ではないはずだ!」と言われるくらい)を身につけるというプロットに、そのトレーニングを介して、その教授と彼女が恋に落ちるというラブロマンスが組み合わされています。G.B.Shawの「ピグマリオン」が原作ですが、確か原作では最後にイライザは自分の生まれた階級に戻ることを選択するのだったと思います。ハリウッドが舞台化した時に、わかりやすくメロドラマチックな恋物語に仕上げた舞台。「ティファニーで朝食を」もそうですね。原作の終わり方を恋物語に変えてしまうというのは常套手段です。なぜ「ティファニー〜」を思い出したかは言うまでもありませんよね。「マイ・フェア・レディ」はオードリー・ヘップバーンの主演のミュージカルが有名だから。(ただし「超」音痴の彼女の歌はすべて吹き替え・・・オードリーは一生懸命練習したそうですが、結局口パクになってしまったのですよね!)

このあまりにも有名なミュージカル、今日観た舞台も、庶民的でよかったです。周囲の子供たちも気負わず一緒に楽しんでいたし、もちろんロンドンの一流劇団にはかないませんが、それぞれのキャラクターがいい味を出していました。ただ、気の毒なのはイライザ役(主役)。21歳の女の子を演じるには、ちょっぴり歳を取ってちょっぴり太めの体型だったのですが、何よりやっぱりオードリーの印象が強すぎて、何となくイメージが違うなぁと思ってしまいます。(メディアの印象ってすごいですね!やっぱり。)花売り娘が驚くほどのfair ladyになるのですから、見た目も大事と言えば大事なのですけれど・・・オードリーって大好きなのですが、やっぱり素晴らしくオーラのある女優なのだと改めて思いました。映画の中でも彼女の印象だけしか残らないくらいの、そして誰もが彼女に恋をするのは当然だと思わせるくらいの、存在感。やっぱり大女優ですね!それでも、とても楽しい舞台でした。一番感じたのは、これはやっぱり言葉の劇だということ。とてもおもしろいやりとりが絶妙で、さらに形容詞をぽんぽんぽんと並べて笑わせたり、「言葉」が実際に主役の劇なのです。もちろん、情けないことですが、最初のコックニーの辺りは私にはほとんど何を言っているのか分からず。でも不思議にリズミカルで、とても音楽的です。役者さん達のやりとりもとてもおもしろく、それぞれに味のあるキャラクターがたくさん出てくる、楽しい劇でした。

今日の写真は、昨日の写真と同様、F&Mのアリス。哲学的なイモムシとの会話(who are you?っていう有名なやつですね)。本当によくできていますよね。かわいらしさと同時に、アリスの世界の底を流れるグロテスクさが感じられる素晴らしいディスプレイです。
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by ellisbell | 2006-12-03 07:37 | literature

ハワース牧師館

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今日のケンブリッジは朝から降ったりやんだりの奇妙なお天気。

昨日までいたヨークシャーよりは暮らしやすいお天気だと思いますが、やっぱりここ2週間ほどの寒さで紅葉が(こちらでは「黄葉」ですが)一気に進み、今朝30分ほど続いた雨でたくさん葉が落ちていました。これだけ緑が多いのは、ケンブリッジの特徴でしょうか。あちこちに広い芝生の公園があって、大きな木がそびえています。ハワースの、冬枯れのヒースに覆われた赤茶色のムーアとは対照的だと思います。

今回は「仕事」の旅。現在は、ブロンテ・ミュージアムになっている牧師館を訪ねました↑。夏から計画していながら果たせなかった資料収集のための訪問です。とは言っても本当のところは、必要な資料があるわけでもないのですけれど、知り合いの先生が快く紹介状をくださったので、シャーロットやエミリの直筆原稿や所蔵本などをこの手で触れるのなら♪というミーハー気分で行ってきたのでした。朝にケンブリッジを発って、ピーターバラ経由でリーズへ、そこからローカル線に乗り換え、さらにバスに揺られていく旅。5時間ほどの旅の後、到着したハワースはどんよりとした曇り空でした。牧師館に併設されたミュージアムショップで名前を告げるとresearch assistantのLが迎えに来てくれて、牧師館の内部にあるresearch libraryに入れてくれます。時間は余りありませんから、用意してくれてあったリストに目を通し、積み上げられた関係書籍を流し読みします。隣で仕事をしているLはさすがにプロですから、「こういう分野が知りたいんだけど」と聞くと、すぐにいろいろ調べてくれて、たくさんの本を持ってきてくれます。もちろんすべてに目を通すことはできず、一日目が終わりました。

c0105386_4584073.jpg宿泊は、ブランウェル・ブロンテがアヘンを買いに立ち寄っていた、教会の目の前の薬局。今はおみやげ物やさんになっていますが、2階がB&Bになっているのです。最近は3時頃には暗くなり始めますから、5時にはもう真っ暗。シーズン・オフのハワースの街はとてもうら寂しいところでした。シーズン中こそたくさんの観光客が訪れますが、今の季節は週末だけの営業も少なくありません。その分、人はみんな親切で、声をかけてくれたりほほえんでくれたりと、英国の田舎らしい良さはあります。ひとりですから、早めの夕食を済ませてから部屋でのんびりくつろいでいると、強い風の音が聞こえます。小説の中でロックウッドが経験するwutheringは、荒野の一軒家ですからもっとすごいのでしょうけれど、この音を聞いて、冬のハワースだと感じ入りました。

c0105386_4591663.jpg次の日、朝から少しだけ墓地と荒野を歩きました。やっぱり何度訪れても、エミリの強さが際だって感じられる場所です。もう少し時間を取ってムーアに分け入りたいところですが、予約があるのでそれは無理。その代わり、いよいよお願いしておいたシャーロットとエミリの聖書を見せていただくことができました。とても不思議な気持ちです。この本を、彼女たちが実際にさわって、記憶するまで読んでいたのかと思うと、急に彼女たちの「実在」に気付かされる気持ちがしました。伝説のような作家ですが(だからD.H.ロレンスと並んで、伝記の多い作家なのです)、実在の、肉体のある人間だったのだという当たり前の事実に、少し驚きを覚えました。そして、それはやっぱり、感激的な体験でした。「研究の役に立ったかしら?」と聞くLに、「うーん、残念ながら」と言うと、「でも実際にこの目で見ることに価値があるんだものね!」とウィンクしてくれるLは、とっても英国人らしいユーモアにあふれていました♪

帰りも5時間以上の電車の旅。肉体的には疲れてしまいましたが、新鮮な感激を受けて気持ちも高揚する旅でした。こんな機会が持てたことに感謝しつつ、ケンブリッジに戻ってきました。今日はこれから、一転して冬の夜の楽しみ。St John's Collegeの聖歌隊を聞きに行きます。曲目はモーツァルト。そういえば、St John'sは、ブロンテ姉妹のお父さんの母校です。
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by ellisbell | 2006-11-18 04:59 | literature

Jane Eyre

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今年はIndian summerです。

Indian summerというと、私たちは「小春日和」と習いましたが、こちらの人たちがよくこの言葉を今使うので聞いてみたら、今年のように、いったん去ってしまった夏が9月頃に戻ってくる、その気候のこともさすようです。8月に寒くて暗い日々が続いていたのがウソのように、9月に入ってからは暑い日が続き、お天気にも恵まれました。8月には夏の終わりが早すぎると嘆いていましたが、ここ数日は雨ながらも、日中の気温はまだ20度を超えていて、爽やかな気候です。もっとも、緯度の高い英国、日が短くなっていくのが目に見えるようです。今では朝も明るくなるのが遅くなってきました。サマータイムも後1ヶ月ほど。いよいよダークシーズンが近づいて来ています。

Indian summerというのは、いかにもインドを統治していた英国らしい表現だなぁと思います。例えば長距離バスを意味するcoachとか、いかにもヴィクトリアンな表現が、イギリス英語にはたくさん残っていますが、その文化を重んじる気風もまだ残っているのでしょうか。昨日から、BBCで、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」のドラマが始まりました。数えられないほどドラマ化、舞台化、映画化されてきた小説ですが、やっぱり今でも人気があるのでしょうか。ジェイン・オースティンやチャールズ・ディケンズの小説も最近相次いで映画化され話題となっていますが、英国ではこのような、いわゆる古典が、国民に浸透しているのだと感じ入ってしまいます。日本で、日曜のゴールデンタイムに、夏目漱石や永井荷風や泉鏡花の小説をドラマ化して放映しているというのはあまりないような気がしますよね(そういえば、菊池寛の「真珠夫人」のドラマバージョンが話題になったこともありましたね、その昔。お昼間でしたが)。こちらでは、見る層が分かれているというのもあるのでしょうが、シェイクスピアにしろ、モーツァルト(もうすぐ冬にはあちこちでコンサートが行われます♪)にしろ、いわゆる文化的なものが、ずっと日本より身近だというのはいつも感じることです。そんなメジャーな作家ばかりでなく、ギャスケルやアン・ブロンテなどもドラマ化されて放映されているのもうれしい限りです☆日本の時代劇のようなものなのでしょうか・・そういや、日曜夜9時と言えば、大河ドラマですねえ。

さて、Jane Eyre。BBCも何度も何度もよくやるなぁと思いますが、今回も割と忠実に物語が進んで行きました。もちろんメモ帳片手に食い入るように視聴。さすがにこれだけポピュラーな作品となると、なかなかオリジナリティを出すのが難しいのでしょうね。10年前のゼフィレッリ版の映画を思わせるシーンが割とよくあります。けれども画面の作り方(ほとんど青みがかった暗い画面)、特にライトの当て方(照明を落とし、手に持ったランプだけで場面を照らし出す)が、特徴的にゴシックの雰囲気を作り上げています。そして予想通り、ロチェスターとの恋愛に重点を当てるようで、子供時代はわずか16、7分で終了(笑)。どうしてもドラマや映画はそうなりますよね。そして、ドラマの一番最初の場面が印象的でした。砂漠を、一人の赤い布をまとった女性が歩いていくシーン。原作では、物陰に隠れてジェインが「英国鳥類史」を読んでいるところから始まりますが、砂漠の真っ赤な太陽を描いた絵を見ている場面に変更されていました。おそらく、女性と狂気を思わせる赤、そして砂漠から喚起される植民地の印象、が、今後のポイントになるのでしょう(←筋を知っているってイヤですね(苦笑))。Indian summer。現在の多民族国家英国にもまだまだ名残が残っている、ヴィクトリア時代の帝国主義がどのように描かれるか、次回が楽しみです。(1回目は、ロチェスターの部屋が火事になるシーンで終わりました。おそらく3回シリーズではないかと、専門家の私は踏んでいます(笑)。)

写真はhollyhock。日本語では「タチアオイ」だそうです。2mほどにそびえ立つ、夏のお花です。東洋的なお花だと思っていましたが、中国原産だとマイミクさんが調査してくださいました。Indian summerに中国のお花。うーん、ヴィクトリアン。
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by ellisbell | 2006-09-26 06:25 | literature

ディケンズの家とブルー・プレート

c0105386_8274194.jpgロンドンの街を歩いていると、時折、家の外壁に青い陶板がかけられているのを見かけます。

これはブルー・プレート。ロンドンに住んでいた、政治、文化、芸術等の分野で優れた業績を残した人々の家を示しているのです。ケンジントンの辺りをふらついていると、次々に見かけるブルー・プレート。寡聞にして知らない名前も多々ありますが、あ、ブルー・プレートだ、と思うと思わず寄っていって誰の名前か見てしまいます。Virginia Woolfだの、G.K.Chestertonだの、J.E.Milletだの、文学(芸術)関係だと思わず小躍りして写真を撮ったりしてしまいます。そこに、誰が何年から何年まで住んだかが書かれていて、そうかぁ、この人はこのような家で暮らしたのかぁ、と感慨深いものです。100年前の家が「新しい」と見なされるこの国では、例えばストラットフォードではシェイクスピアの家なるものが残っているし(シェイクスピアは1564年生まれ・・・「シェイクスピアは、ひとごろし、いろいろ(1564-1616)」と覚えましたね?英文科の皆さん(笑))、昨日もちょっと触れたLavenhamにはその名も「曲がった家(crooked house)」などというすさまじく古い家々も立ち並んでいます。地震がない国っていいですよね・・そして、すごいなあと思うのは、例えばブルームズベリーにあるVirginia Woolfの家などには、今も人が住んでいるということです。そう、ブルー・プレートのついた家にも、現在住人がいて、昔ウルフが「自分自身の部屋」を書いただろう部屋で手紙を書いたりしているのです!!なんとソーホーでは、「モーツァルト」のブルー・プレートまで見られるそうですが・・わずか一年でも滞在は滞在ですものね(笑)。

先日、ロンドンで時間を作って、ブルームズベリーにある、作家Charles Dickensの家に行ってきました↑(これがブルー・プレート)。大英博物館のそば、ラッセルスクエアから歩いて10分ほどの、閑静な住宅街にあります。現在は、The Dickens Fellowshipが所有しているため、博物館として公開されている建物。引っ越しの1年前に結婚した妻と長男と一緒に、世間的成功を納めつつある作家として移り住んできた、この家(48 Daughty st.)。彼はここで、「オリヴァー・ツイスト」と「ニコラス・ニックルビー」を書いたそうです。

小さな家ですから、ベルを鳴らして入れてもらわなくてはなりません。1階の一番奥の部屋がちょっとしたギフトショップを兼ねた受付になっていて、そこでチケットを購入します。地下室を入れて4階建ての家。「好きなところから見てください」とのことなので、1階から順にまわりました。それぞれの部屋に説明がついていて、文豪が愛用した品々が飾ってあります。一番の見所は2階の客間でしょうか。c0105386_8283242.jpg世間的な成功を収めつつある作家として、とてもプチブル的なお部屋だなぁと思いました。そう、すべてがブルジョア的。家中がこまごまとしたもので飾られ、ディケンズ自身が愛用した家具などもいかにもヴィクトリア朝的な装飾過多のものが多い印象。人々をたくさん呼んでお食事会などをしばしば催した様子が、よくうかがえます。文豪らしく、これがないと執筆できないという、机の備品などもそろえられています。そして原稿。ディケンズは自分が有名になって、原稿が価値あるものになると気付いてからは、原稿を大事にしたと説明にありましたが、その辺りもとてもブルジョア的ですよね。ヴィクトリア朝の中流階級にもっとも愛された文豪は、やっぱり自身がブルジョア的な趣味を持っていたのだなぁと、おかしくなりました。

c0105386_829299.jpgもう一つ目についたのは、驚くほどたくさんの肖像画が残されていること。写真も含めて、彼自身と奥さんの肖像は、ほとんど毎年のように描かれています。そしてそれを文豪自身が飾っておいたのです。当時肖像を描いてもらうというのはステータスだし、彼自身も誇らしく自分の肖像を家に飾って、訪れる客人に見てもらったのでしょう。英国人に今ももっとも愛されている文人の一人であるディケンズ。私が行ったのは午前中という時間帯にもかかわらず、年配のおじさまやおばさまたちが、3階の企画展をゆっくりと見て回っていました。人気は不滅なのですね。もっとも英国らしい作家といえば言えますよね、ディケンズは。英国らしいというか、ヴィクトリア朝らしい。人気のほどがうかがえる、そして、彼の人となりをかいま見せてくれる家でした。
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by ellisbell | 2006-09-02 08:26 | literature

Jane Eyre

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先日、ロンドンで、「ジェイン・エア」の舞台を見てきました。

5月から気になっていたのですが、なかなか見に行くチャンスがなく半ばあきらめかけていましたが、HPでチェックしたところ、好評につきロングラン決定とのこと。ロンドンは、オフ・ウエストエンドのTrafalgar Studios。その名の通り、ナショナル・ギャラリーやネルソン提督像のある、トラファルガー広場のすぐ近くです。フラッと「今日の席空いてる?」とのぞいたところ、土曜のマチネだったのに、ちゃんと席が取れました。小さな劇場なので、真ん中後ろよりの席をゲット。プログラムを買って読みながら、開演を待ちます。土曜のお昼間ですが、観客は50人ほど。お年寄りや学生もたくさん来ています。ヨーロッパって舞台芸術が特別なものでないところがいいよね、と思っている間に、席が余ったらしく、もう少し前に降りてきなさいとのアナウンス。お値段以上の席に座れることになります。お隣に座ったのはどうやらドイツ人学生旅行者ふたり組。「ジェイン・エア」は全世界的に人気があるのでしょうか。しかしやっぱり女性の方が割合は多い感じです。

もちろん、これはCharlotte Bronteのベストセラー小説Jane Eyreを舞台化したものです。脚本、演出はPolly Teale。まだ若いけれども評価の高い脚本家、演出家です。彼女はブロンテに興味があるらしく、以前にもAfter Mrs Rochester(もちろん、ジェインの相手であるロチェスターの、狂える妻バーサを念頭に置いています)という舞台を手がけています。こちらは出版された脚本しか読んだことがなかったのですが、なかなかおもしろかったし、劇評もよかったので、今回も楽しみにしていました。

プロットはご存じの方も多いと思いますが、不器量な孤児ジェインが苦しい子供時代を経て教育を身につけ、家庭教師となった先の貴族、ロチェスターと恋に落ちます。身分の差を乗り越え、結婚しようとしたまさにその結婚式で、実はロチェスターにはバーサという狂った妻がいて、イギリスの法律によって彼は離婚できず、つまりはジェインと結婚できないことが分かるのです。悲嘆に暮れたジェインはロチェスターの元を離れ、荒野をさまよった末にセント・ジョンという牧師に助けられ、そこで村の小学校の教師をしながら生活をします。彼女の忍耐強さを見込んだセント・ジョンは、彼女に結婚してインドへの伝道に同行して欲しいと頼みますが、ロチェスターのことが忘れらないジェインは、神にどうすればいいのか助けを求めます。その時ロチェスターが彼女を呼ぶ声が聞こえ、彼女はロチェスターの元へ戻るのです。バーサは狂気の末に館に火を放ち投身自殺、助けようとしたロチェスターは片腕と視力をなくします。ジェインは今やロチェスターの片手となり目となって、一緒に幸せな生活を送るのです。

ブロンテ研究の必読書に「屋根裏の狂女」という批評書があります。1970年代に出た、フェミニズム理論に基づいた大変おもしろい本ですが、そこで著者が述べているのが、ジェインとバーサは実は裏表であり、同じものだという理論です。ヴィクトリア朝という束縛の強い社会の中で生きる女性ジェインができないことを、バーサがしているのだ、だから結局バーサがロチェスターに与えた懲罰は、ジェインが与えたかったものなのだ、という論。Tealeはこれに大きな影響を受けたようです。After Mrs Rochesterでもそうでしたが、この劇でもバーサは最初から最後までずっと舞台にいて、最初は子供時代のジェインにつきまとう狂気の女として現れます。子供のジェインは、あってはならないその存在に気付いていて、必死で彼女を振り払おうとします。いったんは成功したように見えるのですが、その狂女はバーサという形で再度舞台に登場し、バーサという人物が焼身自殺を遂げた後も、バーサ的なるものはロチェスターと出会って激情に目覚めたジェインに最後までつきまとう。特に子供時代にすでにジェインがバーサ的なるものの存在に気付き、押し殺そうとしているという解釈がとてもおもしろかったです。それから、ジェインが映画で描かれてきたストイックな雰囲気とはずいぶん違う、肉体的な欲望に駆られる女性として描かれていたのも特徴的でした。その欲望があるからこそ、彼女は激しく自分のバーサ的なるものにあらがわなくてはならなかったのですね。

大道具や舞台装置はまったく変化なく、人物が動いて場面の転換を表していたのもとてもおもしろかったです。だからこそバーサが舞台に出ずっぱりということが可能になったわけです。映画と違って3時間以上の長い舞台でしたが、大筋ですべてのプロットを組み込んだ、意欲作でした。3時間の異次元空間。The Timesの劇評、"You feel you are looking into the heart of Bronte herself."というより、Jane自身の心の葛藤をまざまざとうまく視覚化した舞台だったと思います。小説の視覚化にはいろいろ問題がありますが、現代的で、解釈も優れた、佳作だったと思います。
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by ellisbell | 2006-08-01 05:41 | literature


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