Under the English Sky


英国、ケンブリッジでの生活で感じたことを書いていこうと思います。
by ellisbell
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カテゴリ:trip( 49 )

ロンドン観光

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来英中の両親に付き合って、ロンドン観光をしていました。

ロンドンの観光などするのは何年ぶりでしょうか。大学生になったばかりの時、初めて自分で計画した海外旅行先が、ロンドンでした。大英博物館にもナショナルギャラリーにも、バッキンガム宮殿にもロンドン塔にも、ホースガーズにもウエストミンスターにも、欲張ってすべて行った記憶があります。それからホテルでのアフタヌーンティーと、どきどきしながらの初めてのパブ。あちこちでいろんな人に話しかけてもらって、英文学を専攻したばかりの私は、いつか絶対にこの国に住みたいと強く感じたものです。今は実際に住んでいますが、イヤなところもたくさんあるけれどもやっぱり大好きなこの国を、是非両親にも楽しんでもらいたいと思っていました。その両親は今までツアーでまわっていた田舎めぐりは気に入った模様。さて、ロンドンです。歩き回るのがしんどいかしらと思いながらも、地下鉄やバスを使っての観光です。

両親と落ち合う前に、バッキンガム宮殿の内部公開を初めて見てきました。世の中にたくさん宮殿はありますが、実際に今現在使われている、住居としての宮殿を公開するのはかなり珍しいことです。ネットで予約したのに電車がいつものごとく遅れ、だいぶ遅刻してしまいましたが、案外すぐに入れて一安心。音声ガイドを聞きながら、壮麗なstate apartmentを見学します。実際に即位や結婚式の時に使われた椅子、晩餐会で使われる机、園遊会でたどるルートなど、まさにこの時代に使われている宮殿なのだと感じ入りました。そして豪華な内装と美しい装飾品。王家の存続自体を疑問視する声もありますが、その問題を別にして、素晴らしい建物でした。折しも日本では、秋篠宮家に男子誕生。ロイヤルファミリーについてさまざまな意見があるのは東西どこも同じですが、バッキンガム宮殿の内部を見せてくれるあたり(当然財政難だからですが)、英国王室はかなり国民に開かれた王室を心がけているのがよく分かります。

両親と落ち合って、ダブルデッカーに乗ったりハロッズに行ったり、いつもの観光コース。c0105386_8161363.jpgダイアナさんの住居だったケンジントン宮殿でお茶をしましたが、ちょうど8月30日は彼女の10年目のご命日。宮殿の門にたくさんお花や写真がかけられていて、彼女の変わらない人気のほどがうかがえました。そして夜にはインド料理を楽しみました。両親はつくづく味のない英国料理にうんざりしたらしく、味のはっきりしたものが食べたいとのご所望(笑)。日本のカレーとは違うものの、それなりに食べられたようです。次の日は、おきまりの、バッキンガム宮殿での衛兵交代からスタート。かわいらしい衛兵の制服ですが、その前ではblack bearの毛皮(帽子)を使うのをやめさせようという署名活動もしていました。現代ですから言論の自由が保証されているのですね。3方向からの衛兵行進を見て、両親をバッキンガム内部見学に押し込み、クラリッジズ・ホテルでアフタヌーン・ティーを楽しんで、夜は「オペラ座の怪人」を見てきました。「オペラ座〜」も初めて行った時にどうしても見たかったミュージカルです。今年は20周年記念公演なのだそうです。映画になったため、ますます人気が出ていたようですが、体中に響く歌声とオーケストラ、シャンデリアをはじめとするさまざまな大がかりな、凝った舞台装置、ロイド・ウェバー全盛期の素晴らしい音楽はキャストが変わっても健在で、全身で楽しめるミュージカルでした。やっぱり歌舞伎もオペラもミュージカルも、派手で没入できるところが一番楽しめますね。両親も、映画を見て予習した甲斐があり(笑)、筋も分かって楽しかったようでした。今日は私自身も初めてのロンドン・アイにも乗ってきたし、英国という国の文化、そして国力の、層の厚さを感じられる観光でした。

両親にどこが良かったか聞いてみたところ、英国でこの街というのは特に言えないそうですが、全般的にのんびりとした田舎の空気が気に入ったと言っていました。そして、大都会にもたくさんの緑があること。私自身がこの国で一番落ち着くのがそのまさに空気としか呼べないもの。全身を包み込む穏やかさのようなものが好きなのです。(もちろん、繰り返しますが、イヤなところもいっぱいあります。英国人は獰猛で非能率的で差別的であるのも事実です。)それでも私が初めてこの国に来て、好きだと思ったその感覚が、分かってもらえる旅だったようでした。今日明日はケンブリッジ、それからパリに向かいます。

c0105386_8164614.jpgそうそう、ハイドパーク・コーナーからバッキンガムに向かう時におもしろい信号を見つけました。うま・・・
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by ellisbell | 2006-09-10 08:14 | trip

Stratford-upon-Avon

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英国にStratfordという地名は数あれど、英国人は親しみを込めて、この地を「エイヴォン川に面したストラトフォード」と呼びます。

そう、Shakespeareの故郷。Oxfordより少し北にある、コッツウォルズの北限とも言える場所(詳しくはコッツウォルズの日記をご覧くださいませ)。この地は、その少し北にあるチェスターなどと同じく、テューダー朝の木組みのおうちが残っていることでも有名なのですが、なんと言っても、シェイクスピア抜きでは語れません。来英中の両親に会いに、10年ぶりに、ケンブリッジから一泊で行ってきました。

前にはまだ民営化される前のBritish Railで、オックスフォードを通って行ったのですが、現在の鉄道ルートでは、この駅はロンドン・メリルボーンからバーミンガムまでのルートの途中にあります。車だったらおそらく2時間半位でつくのでしょうが、この辺りが非効率的なイギリス。ケンブリッジからはわざわざバーミンガムかロンドンを通って行かなくてはなりません。どちらのルートをとっても4時間半ほどの旅。せっかくだから、行ったことのないバーミンガム経由で行くことにしました。英国料理に苦戦しているらしい両親におにぎりを持って(笑)、ケンブリッジを出たのは9時半。バーミンガムまでは直通で2時間40分。駅を移動して(こちらの駅はこれがややこしいですね・・・ロンドンと同じく、方角によって駅が違うので、街の中を移動します。野性的土地勘のおかげであまり迷子にならない私が見事に迷いました。入り組んだショッピングセンターばかりの駅前。バーミンガムについてはまた後日)、小さな電車に乗り換えゴトゴトとさらに1時間。のんびりと、英国固有のガングロ羊を見ていると、少し大きな都市が見えてきて、それがStratford-upon-Avonの街です。

いわゆるMidlandsと呼ばれる美しい田園地域(ここは県でいうと、Warwickshireなのです・・知らなかった。Oxfordshireだと思っていましたが、Birminghamの手前ではNuneatonも発見!!分かる方だけ分かってください。George Eliotの出身地です。今度行くぞー!!)。そこを流れるエイヴォン川のほとりの小さな街ですが、今年はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが全作品上演を試みているせいか、ずいぶんと人でにぎわっていました。残念ながら私の予定に合う劇はなく、もう一度、今度は観劇のために来ようと思いながら、駅近くのB&Bにチェックイン。そのまま、シェイクスピアの生家に向かいます。木組みのおうちでも、本当に古い、16世紀から続いている家は、かなり曲がったりゆがんだりしているのですが、景観重視のために、最近できた建物も木組みのおうち風にしてあります。そういう家はまっすぐでゆがんでいないのですぐに分かります(笑)。ゆがんだ家こそ由緒正しいとは、地震のない国はいいですね。もちろんシェイクスピアの家も木組み↑。16世紀そのままの建物です。彼の父親は裕福な革手袋の職人で、市長にまでなった人物ですから、典型的な名士の家と言えるでしょう。入ろうかと思ったところで日本人の団体客に先を越され、狭いおうちなので団体さんがいると思うだけで気持ちがしぼみ、まぁ10年前に入ったからいいか、と入る気をなくしてしまいました。そのままシェイクスピアのお墓に向かって歩きます。c0105386_8185062.jpg10年前にも行きましたが、お墓フェチとしてはまた行かずにはいられません。town centreからは外れたところにあるHoly Trinity Church。埋葬記録と出生記録も保管されていますが、命日は良く分かっていないようです・・誕生日と同じ4月23日と言われてはいますが、正確には分かりません。でも有名な「この骨を荒らすヤツは呪われろ!」という墓石銘は健在でした。この教会もボランティアが世話しているのでしょうが、中の受付のおばあさまもとても優しく"darling"と呼びかけて、にっこりと話しかけてくれるし、やっぱり田舎の良さをしみじみ感じました。

c0105386_8183162.jpg前回来たのは2月。寒かったし、霧が立ちこめて、それなりに風雅な教会でしたが、今回は尖塔を修理していたのが残念。けれども良いお天気で、エイヴォン川がゆるやかに流れ、白鳥が泳いでいるさまは10年前と同じでした。きっと、この風景は、シェイクスピアの時代から変わっていないのでしょう。(田舎に慣れた私は、思っていたより都会だったことに驚きましたが。10年前にもショッピングモールとかスタバとかあったかなぁ・・変わるところは、たぶん、変わっているのですね。)両親とも無事再会、どうやら食べ物にはめげているようですが、イギリスの穏やかな田舎は気に入ったようで、ゆっくりご飯を食べながら、今までの旅行話を聞きました。明日からしばらく両親に付き合って、ロンドンに滞在、それからケンブリッジを案内します。
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by ellisbell | 2006-09-07 08:17 | trip

Ely

c0105386_8305060.jpgケンブリッジ郊外に、美しい大聖堂で有名な街があります。

イーリー。7世紀に建てられた修道院を元に、14世紀に完成された壮麗な大聖堂を持つ街。ケンブリッジからは電車でわずか15分ほどの場所にあります。テレビのBBC2で、今日、イーリーの大聖堂を扱った番組をやっていました。英国"seven man-made wonders"の東部編。(その番組では、ずっと行ってみたいと思っている、サフォークのLavenhamという中世そのままの街も扱っていたし、へんてこりんな三角形の建物、Triangular Lodgeなる奇妙なfollyの映像もありました。follyというのは、何に使われているのかよく分からない塔のようなものだそうで、英国各地にいろんなのがあります。うぅ、見てみたい!)先月、イーリーの大聖堂に行った時の感動を思い出しました。

確かに有名な大聖堂で、一説によるとフランス、シャルトルの大聖堂と関係があるそうです。先日、ケンブリッジで映画(「エリザベス」の続編)の撮影をしていたケイト・ブランシェットも、次にイーリー大聖堂で撮影をするとラジオで言っていたので、数多くの映画にも使われている建物なのでしょう。行ったのは7月だったので、まだまだ強い日差しが照りつけていましたが、大聖堂は駅から歩いて20分ほどのところにあります。駅から歩いていく道も、1本しかないから迷いませんが、ほとんど車も走っていなくて、何もない穏やかな田舎町という感じのところです。歩いている時、家の中でのんびりと外を眺めていたおじさんと目があうと、ニコッと手をふってくれるようなのどかな街(一応、村ではなくて街だと思います)。少し歩いていると、大聖堂のてっぺんが見えてきます。小さな街にしては驚くほどの、壮大な建物↑。ロマネスク様式の美しい、街のシンボルです。

c0105386_831515.jpg装飾が施された入り口をくぐり、大聖堂内部に入ると、ひんやりと涼しく、ボランティアの教会員さんとおぼしきおばさまがにっこりと迎えてくれます。今日の番組でもやっていましたが、この大聖堂は本当に地元とともにあり、地元の住民があれこれとお花の手入れをしたり、壮大な建物内の彫刻のほこりを払ったりしているそうです。人々が誇りを持ってその運営に携わるような、そんな地域に根ざした教会だというのも素敵ですよね。入ってまず見えるのは長い身廊。天井にはさまざまな絵が描かれ、大聖堂の中心には八角形の塔、オクタゴンがあります。ガイドツアーで上れるようですが、残念ながら時間が合わず断念。もちろん、例によって、ヘンリー8世の修道院解体の時に多大な被害を受けたそうですが、19世紀から修復が始まり、今では美しいそのままの建物を見ることができます。そして、この大聖堂はステンドグラスが有名なのです。次々と現れる美しいステンドグラスに思わず見入ってしまいます。ゆっくりとまわりながら、日の光を受けて輝くステンドグラスを見ていると、この国がプロテスタントであることを忘れそうになってしまいます。

c0105386_8312245.jpgこの大聖堂のもう一つの楽しみは、併設されているステンドグラス博物館。共通チケットを買いましたが、博物館はとりあえず外でランチをしてからにすることにして、town centreを歩いてみます。小さな街なので、メイン・ストリートもこぢんまりしてかわいらしいところです。目についたパブのようなところで、サンドイッチとチップス、ミネラルウォーターの昼食をとって、再度ステンドグラスを見に戻りました。博物館には、英国各地からの古いステンドグラスから年代順に、たくさんの作品が並んでいます。併設とは言っても、大聖堂内部の回廊ですから、光の入り方が柔らかく、雰囲気満点です。そして、モリス協会のステンドグラスなど、美しい作品を楽しみ、ゆったりと和やかな気分に浸ることができました。(この博物館ではステンドグラスの教室などもやっているようで、思わず参加してみたくなりました!)

そしてもう一つ、この街はオリバー・クロムウェルが住んでいた街。ピューリタン革命でチャールズ一世を処刑し、アイルランドを侵略したクロムウェル。もちろんイーリーの大聖堂も破壊したそうですが、彼の家は今はインフォメーション・センターになっています。いかにも中世風の、木組みで白壁のきれいな家。こんな小さな街にも、小さな街なりのいろいろな歴史があるのです。機会があれば、また訪れたい、素敵な街でした。
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by ellisbell | 2006-09-01 08:29 | trip

白亜の絶壁

c0105386_20401088.jpg今日は、3,4日ぶりに晴れていました。青空を見たのが久しぶり。夕方には気温が下がり、今は雨が降っていますが(そしてついに私もヒーターをつけました)、いい季節は急ぎ足で去っていこうとしています。excursionができるのももうちょっとです。

日曜日に絶壁フェチとしてはどうしても行ってみたかった、白亜の絶壁を見に行ってきました。そう、イギリスの代名詞ともなっている、ドーヴァー海峡の白い壁です。(イングランドの雅名Albionというのもここから来たのだったと思います。)先週カンタベリーに行ったときに、ドーヴァーが近いことに気付いて、行きたい病が収まらなくなりました。正しくは、ドーヴァーそのものではなく、もっと素敵なその名もSeven sisters。なんとロマンをかき立てられる名前ではないですか、7つの白い断崖が連綿と海に向かってつきだしているのです。

イギリス東南部の海岸は石灰質の真っ白な断崖が続く景観地。白亜とは、英語ではChalkです。そう、あの白墨。辞書には泥質の石灰岩と載っています。(イギリスのお水がこんなに硬質なのも納得ですよね。どこもかしこも石灰岩です。)昔は船でしか移動できなかったから、ドーヴァーの白い壁を見てイギリスに帰ってきたことを実感するというのを何度も本で読んで、是非この目でその白い断崖を見たいとずっと思っていました。本当に白いのか。

ロンドンはまたもやヴィクトリア駅からイーストボーンへ。(ブライトンからも行けますが、今回はより近いイーストボーンを目指しました。)しかし今回は日曜だったせいか、ケンブリッジの駅切符売り場が混んでいて、慌てて飛び乗った電車はリヴァプールストリート行き(←間違い)。だいぶ時間をロスしてしまって、イーストボーンについたのはもう1時過ぎでしたが、そこはこぢんまりした田舎の港町でした。ケンブリッジにもある、石窯で割とおいしいピッツァを食べさせてくれるZizziを見つけて、ピッツァでランチ。それからバスでセブン・シスターズ・カントリー・パークを目指します。運転手さんに教えてもらうように頼んでおかなかったせいで、バス停一つ分乗り越してしまいますが、何とか到着。ガイドブックによると、ここから30分ほど歩くとのことです。

c0105386_2040466.jpg嬉々として歩き始めますが、運河のようなものを持つ一面の牧草地が続くばかりで、波の音も潮のにおいもしないので、いささか不安に。でも、ここまで来たので標識だけを頼りにどんどん歩きます。羊の群れの中を通り抜け、羊を囲う鉄条網を踏み台で超えながら、ひたすらビーチを目指します。30分以上歩いたかな、というところでいきなりビーチに到達しました。ビーチとは言うものの、南東部の海岸の特徴だそうですが、砂ではなく小石のビーチです。ものすごく歩きにくい上に、白亜=チョークですから、黒い靴がみるみるうちに真っ白に・・・靴の裏が真っ白になっているのには驚きました。しかし、下から見上げる白亜の絶壁は迫力があり、壮麗です↑。本当に真っ白だということに感激しました。

c0105386_20403090.jpgもちろん崖っぷち大好きの私としては、崖の上に登って素晴らしい眺望を楽しまずにはおれません。歩いている途中に分岐点がありましたが、そんなところまで引き返す手間が惜しくて、登れそうなルートを見つけて、芝に覆われた丘をむりやり登っていきます。足をすべらせたらこける上に真っ白になる・・急な上り坂+柔らかいチョークの足場で足もとが悪い上に、恐ろしい風が吹き付けてきます。崖っぷちってどうしてどこでもあんなに風が強いのでしょう。ようやく丘の上に上がると、あまりの強風で吹き飛ばされそう。思わずよろめくくらいです。しかし、やっぱり絶景でした。しっかり波のように続いている7つの丘も確認できます。風が強く、足場が柔らかいのですが、もちろん崖っぷちまで行って下の写真を撮りました。本当に真っ白です。ロンドンからわずか100キロほどで、こんなに違う景色になってしまうのですね。波の浸食によって、この崖は一年に30-40mのスピードで後退しているそうです。このような絶景がいずれ見られなくなるのは残念ですね。たぶん丸い小石で覆われたビーチというのも、砂になるまで浸食が待ってくれないからなのでしょう。大自然の驚異を感じました。たくさん、見たことのない景色というのがこの小さな国にはあるのですね。もちろん、日本もそうなのでしょうけれど。ロンドンもいいけれど、違った顔のイギリスもいいものです。今のように雨が降ると、ドーヴァーの白い壁への浸食がますます進んでいくのだろうなと思いながら、今も、ケンブリッジで、降り続く秋の雨を見ています。
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by ellisbell | 2006-08-26 20:39 | trip

カンタベリー

c0105386_20453490.jpg時は4月ではありませんが、城壁に守られた大聖堂の街、カンタベリーに先日行ってきました。10年ぶりです。

カンタベリーと言うと、英語の父(でしたよね?)と呼ばれるChaucerのCanterbury Talesで名高い、英国最大の巡礼地。その名前を聞くだけで、院生時代、小さな教室の机を囲み、S先生の「古中英語」の授業で、のんびり穏やかに物語を読んでいったことを思い出します。そう、英語自体が中期英語で書かれているので、注はついていましたが、予習するのにもやたらと時間がかかったなぁ。私たちが、「枕草子」や「徒然草」の一部を暗唱できるように、英国人は「カンタベリー物語」の序章を暗唱します。"Whan that April"で始まる、あの序章です。(「ホワーン、サット、アープリル」と某英国人の先生は中期英語の発音で暗唱していたことを思い出します。)4月の雨が3月の乾きをいやし、植物に活力を与えるとき、人々はカンタベリーに向かって巡礼の旅に出るのです。今は同じ雨でも秋に向かう冷たい雨ですが、10年ぶりのカンタベリーは変わらず美しい街でした。

ケンブリッジからはまずロンドンのキングスクロス駅に出なくてはなりません。ハリーポッターで有名な駅ですが、ロンドンはヨーロッパのほかの都市と同じく、目的地の方角によって駅が違うので、イングランド南東部のケント州を目指すためには、ヴィクトリア駅まで出なくてはなりません。(昔行った時は、グリニッジのそばにいたので、チャリングクロスから行ったことを思い出します。)地下鉄で移動し、ヴィクトリア駅からドーヴァー行きで約1時間半。カンタベリーがこんなにドーヴァーの近くにあるということに、今回初めて気付きました。ロンドンから南東へ100キロ少し。昔は徒歩でゆっくり3,4日かけて巡礼したから、長い道のりだから一人ずつが物語をしましょう、というあの「カンタベリー物語」が成り立つわけですね。何のための巡礼かというと、もちろんカンタベリーには、現在では英国国教会の総本山である、カンタベリー大聖堂があるからです。現在では、というのは、これまたもちろん、チョーサーの時代には英国はカトリックだったから。(だから修道僧とか、修道女とかが登場人物で出ているのですよね。)しかし、何ともダイナミックな変化。カトリックの中枢から英国国教会の総本山になるとは。宗教的にだけでなく、政治的にも、歴史的にも、なかなかおもしろい場所なのです。

パンフレットによると、大聖堂は聖アウグスチヌスによって、6世紀後半に作られます。ノルマン・コンクエストの後、イングランド一の格を与えられたという記述からも、この大聖堂がカトリックの中枢であったことが裏付けられています。しかしそれ以上に、中世には、ヘンリー2世によって暗殺されたという、トマス・ベケットの死後に起こったとされるさまざまな奇跡が、この地を英国一の巡礼地にしました。(その辺りも聖人伝だの何だのと、カトリックですよねえ。)そして、その後に起こったヘンリー8世の宗教改革。国教会を起こしたヘンリー8世はすべての修道院も力のある大聖堂も閉鎖してしまったので、カンタベリー大聖堂が受けた打撃も大きかったことでしょう。さらには英国はピューリタン革命も経験していますから、その時にも大聖堂は苦難の道を強いられたはずです。しかし、今では国教会の中枢である大聖堂のパンフレットはそのような都合の悪いことはすべてとばしています。「宗教改革によって聖人崇拝などが一掃された後でも、中世の巡礼者を惹きつけた同じ信仰と献身が、このキリスト教会に世代を超えた崇拝者を惹きつけ続けている」とあるだけです。うーん、これだけ大きな組織になると、さすがに宗教も政治ですね。

c0105386_20462471.jpgさて、大聖堂。さすが国教会の総本山(ちなみにナンバー2はヨークの大聖堂)。美しく荘厳な建物です。そして、特徴的ではありますが、プロテスタントなのに中世そのままの美しいステンドグラスが教会を飾り、穏やかな聖人像が回廊に並びます。強大な力を感じさせる、荘厳な建物。しかし不思議にも威圧感よりも美しさの方が印象に残ります。トマス・ベケットが暗殺された場所には、今も3本の剣が示され、一度は取り壊された、ベケットを祀るチャペルも今では再び造られています。カトリックと国教会の奇妙な融合ですね。と、言うか、そもそも国教会自体がカトリックへの反発ではなく、ヘンリー8世の個人的な理由で行われた宗教改革ですから、たくさんカトリックとの共通点もあり、奇妙な宗派と言えるのでしょうけれど。地下のクリプトには多くの宝物が納められ、もちろんお墓もたくさんあります。ゆっくり時間をかけて大聖堂をまわり、出ようとしたところでオルガンの音が鳴り響きました。単なる練習のようでしたが、やはりこの雰囲気の中で聴くパイプオルガンの響きは素晴らしい。続いて聖歌隊が練習していたのか、コーラスも聞こえて来ます。音響も素晴らしいし、カンタベリーの聖歌隊もなかなか名高いので、思わずグレゴリオ聖歌とキャロルを買ってしまいました。そして、国教会の祈祷書も。黒装丁のなかなかきれいな装本です。それから、10年前に、カンタベリー・クロスという十字架のシルバーネックレスを買いましたが、それが同じく売られていたので、またもやサイズと色が違うものをゲットしてしまいました。ケルト文様とは違うのに、なんだか不思議な類似点があります。よく、お守りのように身につけているので、この日も小さいシルバーの方をつけていたら、大聖堂の売り場のお姉さんがニコッと笑って指さしました。(まさか二つも持っているとは思っていないでしょうけれど☆)

c0105386_20455796.jpgヘンリー8世が行った修道院解散のせいで、もともと大聖堂に付属していたベネディクト派の修道院も今では朽ち果て、趣のある雰囲気を添えています。(こんなことも10年前には気付かなかったなあ。)本当は少し離れたところにある、聖アウグスチヌスの修道院跡にも行ってみたかったのですが、ケンブリッジは遠いので断念。古い城壁都市によくあることだと思いますが、一般の人がたくさん城壁や大聖堂の横を通り抜けて生活しているのですね。廃墟となった回廊を歩いていると、学校があるらしく子供がそばを走って行きました。幾多の歴史の変動がありながらも宗教と大聖堂を中心に存在してきたこの街には、いまだ中世の面影がたくさん残っています。街中には大きなショッピングセンターもあるけれど、それが古い街並みと不思議に共存している、素敵な街でした。
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by ellisbell | 2006-08-24 20:45 | trip

ハワース

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ずっと昔から、ずっとずっと行きたかった場所、ハワース。念願の、ヒースの花が一面にムーアを染める時期に間に合いました。

ベルファストから到着したのはリヴァプール。本当は、ビートルズの足跡を訪ね、美術館も訪れたかったのですが、フライトの予定が狂ったせいでその余裕はなし。しかしせっかくイングランド北部にいるのだから、強行でそのままハワースを目指します。今まで2回、近くまで行きながらたどり着けなかった場所。今度は、ハイシーズンにリベンジです。リヴァプールからリーズへ、リーズからキースリーへ(なぜKeighleyという綴りが「キースリー」と発音されるのかさっぱり分からん)、キースリーからさらにバスか蒸気機関車でハワースへ。長い道のりです。リーズはとても大きな街。さすが、北部工業地帯の目玉都市だけはあります。キースリーからは蒸気機関車に乗るべきか、バスで行くべきか、ちょっと迷ってとりあえず駅の外に出てみますが、バスステーションがどこにあるのかさっぱり分からず。通りかかったおばさまに聞いてみます。おばさまは、私もそっちの方向だし、わかりにくいから一緒に行ってあげる、と優しいお言葉(確かに15分は歩かないと行けない離れた場所でした・・)。道々お話をしましたが、アイルランドから帰ってきたというと、「私の国よ」とにっこり、教養あるきれいな英語を話される、とてもいい人でした。ブロンテを訪ねてきた、というと、ハワースまでは歩けますよ、と。シャーロットとアンはハワースからキースリーまで歩いたんですよね、と言った私に、私も歩いたことあるわよ、とおばさま。そんなに遠くないよ、1時間半位かしら、とまたまたにっこり。ウォーキング大好きの英国人(正しくは彼女はアイリッシュですが)の底力を思い知りました。しかし、おばさまのご親切はありがたくも、あまりに遠かったので荷物を運ぶ気がせず、結局、夏だけ運転されている保存鉄道の蒸気機関車でハワース入り。(機関車や駅の人たちもみんな優しくて親切。やっぱりイギリスは田舎がいい!!)

ハワースの駅も、例によって、街はずれにあります。ちっちゃな駅の売店で、"city map"をもらえるでしょうか、と聞いた私に、そこにいたおばさまは"CITY map??"と聞き返して来ました。"I'm sorry, a town map, or a village map?"と聞き返したら、にっこりと「これよ」と満足げにコピーされた略地図を差し出してくれます。うーん、イギリス人は田舎であることに誇りを持っているという原則はここでも通用。すさまじい石畳の坂を荷物を引っ張ってガタガタ上がっていくと、広がる街並み(村並み?)はとてもかわいらしいものでした。雰囲気のある素敵なところです。想像よりずっと美しい村でした。その日はもう夕方だったので、B&Bにチェックインして、ハワースのお墓を嬉々としてうろつきまわり、メインストリートを少し眺めただけ。夕食は、ブランウェルが飲んだくれていたBlack Bullというパブに行こうと決めていました。しかしさすが田舎、7時までしかご飯を出してくれず、あきらめてB&Bで本場のヨークシャープディング付きのローストビーフを賞味。でもブラックブルで飲んだビールは素晴らしくおいしかった☆(ブランウェルが飲んだくれていたのはジンですが、私はビールで十分。)

c0105386_2352923.jpg次の日、朝からムーアを散歩します。嵐が丘のモデルとなったトップ・ウィズィンズまでは往復10キロ弱。それは無理としても、せめて途中のブロンテの滝まではムーアを歩きたいと思ってウォーキングをスタート。名残惜しいお墓を右手に、細い道を抜けると、そこは一面に紫の花をつけたヒース↑。果てしなく続くヒースの野原に、激しく吹きすさぶ風。嵐が丘そのままの世界です。moorは普通、荒野と訳されるようですが、それからイメージされる荒れ果てた地とはまったく違います。土が痩せていて木などは育たないけれど、一面にこのヒースが咲き乱れているこの美しさには言葉を失いました。嵐が丘、私の原点とも言える小説の舞台。本当に、感激しました。あまりにも美しい大自然の風景でした。エミリが愛したムーア。ほとんど生涯ハワースから出ることなく過ごしたエミリ・ブロンテはいったいどこからあの激しい小説の着想を得たのだろうかと不思議に思いますが、この大自然あってこその「嵐が丘」だというのを身にしみて感じました。この大地には何かがある。この風景には、天才詩人に何かを吹き込むものがある。うまく言えませんが、それをひしひしと感じる場所でした。ところどころ、そういう場所ってあるような気がします。地霊のいる場所というか、地霊でなくても、呼応する才能を持った天才にインスピレーションを与える何かがあるところ。言葉を絶するほどの感激でした。激しい風に吹かれながら、ぎゅっとショールを身体に巻き付け、エミリの歩いた道を歩きます。同じ姉妹でもシャーロットやアンの小説にはこのムーアは全然出てこないのですよね。エミリのただ一つの小説は、このムーアだけが舞台となっているのに。小説の中で、病床のキャサリンが、熱に浮かされながら、もう一度あのヒースの咲き乱れるムーアに行きたいと切望するシーンがありますが、その気持ちが初めて分かったような気がしました。難解で謎に満ちた作品、十分に理解できないのは今もそのままですが、この地に行けて本当によかった。少なくともこの地が激しくエミリを惹きつけたことはよく分かりました。

その日のうちにケンブリッジに戻るつもりだったので、時間はなかったのですが、どうしてもトップ・ウィズィンズまで行ってみたくなって、ブロンテの滝を越えてどんどん歩き続けます。フットパスは途切れ、石垣を乗り越えて、遠くに一本だけ見える木を目指していくと、そこにその廃墟はありました。今はもう朽ち果て、羊がたくさん住みついています。囲われてすらいない羊。(ムーアには羊もいるのですよね・・ムーアが本当の意味で荒れ地ではないことと、陸の孤島のように思われているハワースが、産業革命の中心であった羊毛産業とも関わっていることの二つも実感されました。)エミリは何を考えながらこの道を毎日歩いたのでしょうか。私もいろんなことを考えながら10キロ弱の道のりを往復しました。本当に美しく、感激的な場所でした。また、絶対、行きます。季節を変えて、何度でも。

c0105386_2351766.jpg疲れ果ててハワースの村に帰還。もう2時前だったので、大急ぎでブラック・ブルでランチ。それからブロンテ姉妹のお父さんが司祭を務めていたパリッシュチャーチへ。思っていたよりもずっと美しく、また、大きな教会でした。またここの墓地は素晴らしくいい。静かで落ち着いた場所でした。ブロンテ達は地下納骨堂に眠っているので、実際にそのお墓を見るという訳にはいきませんでしたが、この下に納骨堂があるという碑をちゃんと見てきました。やっぱりひとりぼっちで眠っているアンに会いに、スカーボロまで行かなきゃならないなあ・・それからブロンテ博物館へ。これまた思っていたよりもずっと明るくてきれいな家でした。伝記を読んで、毎日部屋から墓地を眺めて過ごした陰気な家だと思っていたのに・・数多くの遺品やシャーロットの衣装など、ああ、これはあの時のものだなぁと伝記訳者(の一員)ならではのマニアックな感激(笑)も覚えながら一周しました。暗くなる前にケンブリッジに帰りたかったので、あまりゆっくりできませんでしたが、初めてのハワース、感激的な訪問でした。今度は、もっと荒れ果てた荒野を見に行きたい。またすぐ来るぞ、と思いながらの帰路でした。

帰りはキースリーまでバス(昨日のおばさまの教えてくださった道が役に立ちました!)、キースリーでケンブリッジまでの切符を買い、キースリーからリーズ、スティブニッジ、そしてケンブリッジと乗り継いで帰ってきました。結局合計10日間。長い間家を離れていましたが、どこもそれぞれに印象深く、素晴らしい旅でした。一生思い出に残ることでしょう。疲れましたが、時間が戻るなら、もう一度、同じルートで同じことをしたいと思う、満喫できる旅行でした。
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by ellisbell | 2006-08-22 23:04 | trip

アイルランド(再びベルファスト編)・・しつこい

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このような事情で、再びベルファスト市内に舞い戻ってきました。本土に戻るつもりだったからノースリーブにカーディガンという軽装、寒い!!

再度チェックアウトしたばかりのホテルに戻ります。まだお昼前。もちろんお部屋の準備はできていませんが、「隣のパブで休憩しながら30分ほど待ってくれたらできるから、あ、荷物はこっちで見とくよ」と、受付のお兄さん。ちょうどお昼の時間だし、とりあえずニュースを見たいので、そうしようと話を決めて、ホテルのパブでお昼を食べていたところに、朝の受付のお姉さんが大きなおなかを抱えて通りかかりました。「どうしたの?飛ばなかったの?」と驚くお姉さんに「キャンセルされてねえ」と言うと、「私が電話した後にそんなことになるなんてねえ」と同情してくれ、すぐにルームキーを持ってきてくれました。「その代わりベルファストをもう一日楽しめるから」と言った私に「このお部屋はいいお部屋よ、少なくとも私は好きよ」と渡されたカギには、部屋番号の代わりにO'Neillと書かれています。なんと、スイートルームでした。しかも料金は普通のお部屋とまったく同じ。捨てる神あれば拾う神あり(笑)?(それにしても、このホテルThe Crescent Townhouse Hotelは、とても素敵なホテルでした。向かいのパブが多少夜にうるさいことをのぞけば、きれいだしスタッフも感じがいいし、ベルファストにまた行くことがあれば、是非訪れたいホテルです。ジャイアンツ・コーズウェイのツアーを聞いたら、わざわざ受付のお姉さんが歩いてツアーデスクまで行って、予約をしてきてくれるような親切なホテル。小規模なホテルはいいですね☆)

c0105386_2384726.jpgホテルの部屋に落ち着き、コーヒーを飲みながら(ここはイギリスですから、ちゃんとお部屋にティーセットがあります♪アイルランドはなかった・・・)ニュースを再度確認。テロが未遂であったこと、空港の混乱はしばらく続くだろうということが分かります。次の日のフライトも心配ですが、仕方がないのでこの日はベルファストの有名な政治壁画を見に行くことに決定。これも見たかったけど時間切れだったものですから、逆に時間ができてよかったのかも。テロで足止めを食っている間にそのような政治的不穏の現場を生で見に行くというのもやっぱり運命的。多くは観光地ではないベルファストの街の西部にあるので、自分では行けず、乗り降り自由の観光バスに乗って見に行きました。くるっと1周1時間半ほどのツアー。いろいろな見所を説明してくれますが、北アイルランド特有の抑揚のある英語ガイドさんです。途中から見えてきた壁画は、想像していたのとはまったく違う、カラフルで大きな壁画↑。北アイルランド問題は一進一退で、最近IRAの武装解除が伝えられましたが、未だにカトリック、プロテスタント双方に急進派もおり、過去の話ではありません。カトリック系の住民とプロテスタント系の住民が、アルスター6州の帰属を巡って今も対立しているのです。ブレアさんは地方分権を推進していますから、いったんは北アイルランドにもある程度の自治権を認めたのですが、さまざまな事情で今はその自治権が取り上げられています。本当に難しい問題ですよね、北アイルランド問題も。c0105386_2383331.jpg現にこの通りは普通の通りに見えますが、この通りを挟んで片側が100%プロテスタント、片側が100%カトリックとはっきりと区別されているそうです。地域によって、英国のユニオンジャックが翻っているところと、アイルランドの三色旗が翻っているところがあることが、印象的でした。しかし、街の南側に来るに従って、もはや隣の人の宗派など気にせず、お互いに共存している地域もちゃんと存在すると説明されました。政治的問題は難しいけれど、IRA(アイルランド共和軍、独立派)やUVF(アルスター義勇軍、残存派)のような暴力行為では何も解決されないのですから。この色鮮やかな壁画も、本当に印象に残りました。今回のアイルランド旅行、いろいろなものを見て、いろいろなことを感じましたが、これも見られてよかったとしみじみ思った光景でした。(何回乗っても料金は同じなので、なんと2周もしてしまいました!)その後は、ちゃんとクラウン・リカー・サルーンを予約してご飯も食べられたし☆

心配しましたが、次の日の朝、無事にブリテン島に戻ることができました。フライトは8時10分発の予定が、2時間以上遅れていましたが、何とか戻ってこられたから一安心。それでも手荷物すべて不可という異常事態ではありました。しかし、振り返ってみると、素晴らしいアイルランド旅行でした。アイルランドはやっぱり田舎なのですね。ダブリンでさえ、ロンドンのような大都会ではなく、大きな街というだけの、暖かみの残る街でした。人も親切で人なつっこく、食べ物もジャガイモばかりではありましたがおいしかったし、とても素朴な国でした。英国と似ていると英国人を含めいろんな人に言われたし、読んだりもしましたが、実際には空気が全然違う国だと思います。やっぱりアイルランドはアイルランドなのです。独立した、一つの、素晴らしい文化と風土を持った国なのですね。荒々しい自然と、素朴な人々と、古い古い、いにしえの伝統文化を持った印象深い国でした。

この後はリバプールから強行で、あこがれのハワースに向かいます。まだまだしつこい旅行記は続きます(笑)。だってせっかくイングランド北部に来たのだし、すぐにケンブリッジに戻るのはもったいないんだもの。8月、ムーアはヒースの花盛りのはずです。
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by ellisbell | 2006-08-20 23:07 | trip

アイルランド(北アイルランド編)

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ダブリンで車を乗り捨て、一路、電車で北アイルランドへ。

その前に午前中はダブリンの作家記念館を見て回りました。アイルランドの作家というとそれほどたくさん思いつきませんが、実際に見てみると「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スウィフトをはじめ、知っている名前がずらり。もちろんジョイスも、オスカー・ワイルドも、私の大好きなゴシック作家達(偏愛する吸血鬼ものを書いてるレファニュとか)も、もちろんショウ、イエイツ、ベケットなどのノーベル賞作家たちの遺品もたくさんあり、それぞれオーディオガイドを聞きながらゆっくり見て回りました。(同じノーベル賞詩人なのに、ヒーニーがなかったのはダブリンと関係ないからなのでしょうか・・そういや、ラフカディオ・ハーンも写真だけが通路にちょろっと飾られてるだけで、かなり虐げられてました。ハーンは英文学史上でも日本文学史上でもちょっと異端扱いでかわいそうですよね。)中でも感動的だったのは、ジョイスの声が聞けたこと。英語のオーディオガイドだったので、ジョイス自身がフィネガンズ・ウェイクの一説を朗読したレコードの音声を聞くことができました。思ったより高めの声。さすがはフィネガンズ・ウェイクで、何を言っているのかはさっぱり分かりませんでしたけど(苦笑)。

そして、ダブリンのコノリー駅から電車に乗ります。ベルファストまでICのような特急電車で2時間ほどです。検札はどうなるのだろう、国境越えはどうなるのだろうとワクワク。電車で国境を越えるときにはいつも電車のスタンプを押してくれるから今回も楽しみです。が、結局誰も来なかった・・・テクニカルには、私はまだアイルランドにいるってこと??これでいいのかイギリス入国管理局!!ほかのEU諸国に比べて厳しいとされる英国の入管ですが、アイルランドとは協定があってかなり緩やかだというのはやはり事実のようです。アイルランド入国の際にはパスポートにスタンプ押されたんだけどな・・・ともあれ、ベルファストに着いて第一声は「寒い!」ダブリンや西の方も寒かったですが、ベルファストはさすがに北だから、お昼間なのに気温が16度。8月の頭ですよ・・雨が降っていて本当にふるえました。タクシーでホテルに向かったら、表示はポンド。そうですよね、今までユーロだったけど、北アイルランドは英国領です。英国に戻ってきたのです。

c0105386_5282072.jpg地図を見たら北アイルランドのインフォメーションセンターとアイルランドのインフォメーションセンターは違う場所にあります。そう、ベルファストというと、IRAの本拠地としてのイメージが強く、テロの影がさす暗い街という先入観をぬぐい去ることができません。何となく街自体も重苦しい感じがするし、雨のせいかしまっているお店も多く、何となくうそ寒い第一印象でした。アルスター銀行の本店や、アングロ・アイリッシュ銀行などという聞いたこともない銀行も通りに並んでいます。やはりカトリックとプロテスタント、ケルト系とアングロ系が対立している本場というイメージがますます強くなります。写真はベルファストで一番有名なホテルである、ヨーロッパ・ホテル。私の泊まったホテルのフロントで地図をもらった時、受付のお姉さんもこういいました。「これが有名なヨーロッパホテルよ、ほら、あの一番いっぱい爆撃を受けたところ。」そう、イギリス系資本の象徴として、隣にあるグランド・オペラ・ハウスと並んで何度もIRAのテロ攻撃の標的になったホテルです。アイルランドをまわっていると、ふとしたところで、いかにイギリスがアイルランドに残虐な植民行為をしたのかを思い知らされます。そしてアイルランドの誇り高き民族がいかに英国支配を苦々しく思ってきたのかも。ゴールウェイで泊まったカントリーハウスのGeorgeも、ブロンテが専門だと言った私にシャーロットの新婚旅行先がすぐ近くだったと教えてくれたとき、北アイルランドだと思ってたわ、と言った私に対して「ああ、アイルランドは昔は、当然一つだったんだよ」と言っていました。私自身の無神経な言葉を恥じ入った瞬間でした。

しかし、それは、おそらく過剰反応だったのかもしれません。ヨーロッパホテルの隣にあるヴィクトリア駅の説明書きを立ち止まって読んでいたら、そこでお客さんを待っていたタクシーの運転手さんが声をかけてきました。「君、歴史を読んでるの?」(ちなみに、アイルランドの英語はとても聞きやすく、少しアメリカ英語に近いような気がしました・・英国人の友人もそれには賛成してくれました。北アイルランドに来ると、英語がまたもや地方アクセントの強いイギリス英語になり、彼と話をするのにも一苦労。)ベルファストはとてもいいところだ、ロンドンなんかの方がよっぽど危ない、と力説するおじさん。確かに、そのおじさんにしても、ホテルの従業員さん達にしても、ベルファストで会った人々は親切でフレンドリーで、アイルランドの人たちと何ら変わりはありませんでした。そう、ベルファストというととかく私たちはテロとばかり結びつけてしまいますが、ごく普通の街なのです。イメージしていた空の暗さはその通りでしたが、それ以外はとても意外なことに、危ない街という印象はまったくありませんでした。

c0105386_5291091.jpg次の日には、北アイルランド唯一の世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイに英語のツアーバスを予約して乗っていきます。これまた絶壁を巡る旅。まずはナショナル・トラストの管理下にあるキャリック・ア・リードという吊り橋を目指します。これまた険しい断崖と、小島を結ぶ吊り橋なのですが、橋は一度にふたりずつしか渡ることができません。かなりこわそう。ワクワクしていたのですが、残念なことにこの日はあまりの強風のため、吊り橋は危険すぎて閉鎖。これまた、前日のニューグレンジと同じく、目前に涙をのみました。渡ってみたかった・・気を取り直して、ブッシュミルズというアイリッシュ・ウィスキーの蒸溜所へ。ものすごくおいしいウィスキーで、私も知っていたので、これも楽しみでした☆実際にここで蒸溜されているらしく、麦汁(wort)のにおいの立ちこめる中、蒸溜の過程を見て、ウィスキーを試飲。案内してくれたガイドさんに「なぜ氷なんか入れるんだ!」と怒られつつ、スッキリしたおいしいウィスキーを楽しみました。それからジャイアンツ・コーズウェイ↑。本当に奇観です。六角形の石柱が、海の中からごつごつと着きだしている様は、とてもおもしろい眺めでした。これは大昔に巨人が作った土手道だという伝説から来ている名前ですが、荒々しく吹き付ける潮風にあらがうように立つたくさんの六角柱を見ていると、大自然の不思議さをまざまざと見せつけられる思いでした。人間にはこんなものは絶対に作れませんよね。(なぜこんなものができるか。ガイドブックは解説してくれてますが、まったくさっぱり分かりません。水を抜いた水田に六角形のヒビがたくさん入るのと同じ原理だそうです。)ベルファストに帰って、もっとも有名なパブ(ナショナルトラストが管理しているらしい建物にある)クラウン・サルーンに行こうとしましたが、予約でいっぱいであきらめ、隣のロビンソンズでディナーを食べて、アイリッシュ・コーヒー(コーヒーに生クリームを入れ、たっぷりアイリッシュウィスキーを注ぎます☆)を楽しみました。ベルファストの街をあまり見られなかったのは残念でしたが、さまざまなもの、いろいろな風景が見られて、本当に心に残るアイルランドの旅でした。これで、アイルランドへの旅は終わり。イギリスに戻ります。

いや、戻る、はずでした。しかし、この日の夜中に、例の、テロ未遂事件が起こります。詳細は、次の日記で。
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by ellisbell | 2006-08-19 05:27 | trip

アイルランド(テロに思うこと)

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8月10日の朝は曇り空。朝7時半。今日、アイルランドを発って、英国本土、リバプールに戻ります。

アイルランドはずっと寒かったし、お天気が気になって、BBCをチェックしようとテレビをつけました。あまり旅行中にテレビを見ることはなく、今までもずっとチェックしていなかったのに、何か虫が知らせたのでしょうか。BBCのアナウンサーが緊迫した顔で何かを話しています。画面にはBreaking news(速報)のテロップがずっと流れています。情報も錯綜していて断片的にしか事情が分かりませんが、どうやら飛行機を爆破するテロが関係していて、空港が混乱しているらしいというのは分かります。アナウンサーが繰り返し、急ぎの用事でない限り、今日のフライトは取りやめるようにと呼びかけています。しかしDisruption in Airports(空港が大混乱)とあるだけで、いったい何が起こったのかほとんど分からず、不安だけがふくらみます。私の今日のフライトはどうなるんだ??

テレビで話されているのはヒースローがほとんど。ガトウィック(ロンドンで2番目に大きい空港)も少し出てきます。でも私が行くのはリバプール。国内線だから大丈夫なのかしら・・ベルファスト国際空港の様子も映し出され、人が減っている様子がうかがえます。どうするべきか。朝食後、とにかく早めに行ってみようとチェックアウトすることにしました。受付のお姉さんに、「いったい何があったの?フライトは飛んでるのかしら?」と聞いてみると、親切な彼女は、空港に電話してみてあげようと言ってくれます。なんと言っても私のフライトは、格安航空会社のeasyJet。飛ばなかったら保証してくれるかどうかすら分かりません。ネットでいろいろ調べて、彼女が問い合わせてくれたところでは、朝8時半の時点では飛ぶ予定だとのこと。ただしセキュリティチェックに時間がかかるから早く来るようにとの情報で、すぐに空港に向かいます。ベルファストに名残を惜しんでいる場合じゃない!

空港に着いてみるとやはり非常事態です。入り口に係員が立っていて、透明のビニール袋を渡しています。手荷物はすべて持ち込めないので、これにtravel essentials(お財布とパスポート、搭乗券)だけを入れるようにとのこと。easyJetのカウンターもいつもとは違って画面にAll Destinationsと出て、長蛇の列で、フライトは軒並み遅れているようです。次々とロンドン行きにフライトのキャンセルが出ています。私たちもとりあえず並んでみますが、カウンターに到達したところで、時間が早すぎてチェックインできないと却下。仕方がないのでコーヒーを飲みながら待つことに。不安な気持ちで画面を眺めていると、同行者がリバプール行きのキャンセルを発見。大慌てでカウンターに飛んでいきます。カウンターのお兄さんはさっきの人で、すべてのリバプール行きはキャンセルだから、明日まで飛ばないと言うだけ。みんな飛んでるじゃない。とにかく本土まで行きたいからどこかに振り替えてもらえないかと言ってみても、それはできない、チケットを買い換えてくれ、できるのは明日の便に振り替えるだけ、との一点張り。仕方がありません。次の日の朝、一番のフライトをとってもらって、同行者が昨日までいたホテルに電話をしてくれます。お部屋はあるらしく、一安心。本当に、ひとりぼっちじゃなくてよかった。ひとりだったら不安でたまらなかったと思います。仕方がないので、再度ベルファスト市内に逆戻り。バスの運転手さんに料金を払って、「フライトがキャンセルされたんだよ。市内に逆戻りなのよ。」というと、「何?狂ってるなぁ」とのコメント。本当に、何かが、おかしい。

IRAに代表される暴力行為の街、ベルファストで、それとは違うテロに遭遇するのもなんだか運命的な気がします。私自身は直接的な被害というのはそれしかありませんでしたが、暴力行為は何も生み出さないのに、世界はどんどん両極端に分かれていくような気がします。先日友達がくれたメイルで、日本での報道の中で、インタビューされた日本人観光客が、「添乗員さんはパニクっていたけど、観光客自体はそれほどでもなかった。だって何でもなかったんでしょう?」と言っていたと書いてきてくれました。彼女はそれに対して、「自分は絶対テロに遭わないという日本人独特の自信でしょうかしら」と書いていましたが、その自信は日本人だけではないのでしょう。こんなに世界が狭くなっていて、テロという暴力行為の目的自体も多様化していて、その原因すらも複雑で一つには特定できない、そんな時代に突入している以上、あらゆることは対岸の火事ではありません。今回はたまたま未然に防げたということですが、それも世界有数の管理社会イギリスが、世界最多の防犯カメラや情報網を駆使して、9.11以降常に危機感を覚えていたからなのです。先日、英国人の友人と話していて、イギリスは人種差別的な感情や摩擦がないことはないが、これだけ多様な民族を抱えている国にしては驚くほど少ない、と聞きました。しかし、私自身は、例えば湖水地方で、英国人ドライバーさんが、「イスラム教徒がたくさん入ってきているのは困ったものだ」とかなり強い口調で言うのを聞いたし(湖水地方は優雅なリゾートですが、すぐ近くにランカスター、マンチェスター、リーズなどの北部工業地帯を抱えています。英国有数のアラブ系人口を抱えた地帯なのです)、水面下ではいろいろな問題があるのでしょう。

テロという暴力行為は断じて許されるべきことではありません。しかし、何より今回のことで思うのは、容疑者は若い夫婦で、子供のミルクに爆発物を仕掛けていたという報道から、事態は新たな段階に入っているのだという実感です。人間として考えられない狂信的行為。しかし、軍事力という点において圧倒的な劣者であるテロリスト達は、そのような報復の仕方しか考えられないのでしょう。英国人の友達が言うところでは、急進的なイスラム教徒の一番恐ろしいところは、わずか4%にしかすぎない人口でいながら、イギリス社会を自分たちにあうように変えようとしていることだと彼女は主張します。去年の7.7のロンドン同時多発テロの際にねらわれたのは、エッジウェア・ロード、ロンドンにおけるイスラム教徒社会の中心部なのです。急進的な人たちの一番のターゲットは本当は同じ宗派のよりマイルドな人たちだと彼女は主張します。本当にいろいろな問題が複雑に絡まり合っていて、単にテロは恐ろしいと言うだけでは何の解決にもならないのです。しかし、再度舞い戻ったベルファストでBBCのインタビューを受けていたアメリカ人が、心配している?との問いに対して、「全然!私が帰る土曜にはもう大丈夫でしょう。」と答えていたことにも驚愕しました。ターゲットはアメリカだったと報道されているのに、自分は大丈夫というその「自信」はアメリカ人にも共有されているのでしょうか。あるいは、アメリカ人だからこそ、そのような自信を持っているのでしょうか。アメリカがどんどん世界の中から孤立していく、あるいは自らを選んで孤立させていく様を見ていると、なんだかうそ寒くなってきます。世界はどのような方向に進んでいくのでしょうか。先日、見送りに行ったヒースローは、1993年に私が初めて英国を訪れた時と同じ、厳戒態勢になっていました。当時はIRAのテロが頻発していましたが、今は国際的なテロ組織が世界中でテロを起こしています。

これは番外編。再びベルファストに戻ってまたもや旅行記を続けます。
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by ellisbell | 2006-08-19 05:25 | trip

アイルランド(本当断崖編)

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アイルランド旅行も佳境に入ってきました。ドライブにもずいぶん慣れて、高速道路では人生最高速度(140キロ)を記録☆(←もちろん違法です。)

イニシュモアはあまりに印象が強烈で、ゲールタクトであるゴールウェイは去りがたい気がしましたが、今度は少し南東方面、リムリックを目指します。リムリックはフランク・マコートの「アンジェラの灰」で有名になったところ。でもリムリック自体ではなく、途中にあるバレン高原とモハーの断崖が今回の目的地です。

c0105386_5314184.jpgまずはバレン。The Burren(ゲール語のBhoireann、「石の多い場所」から来ているそうだ)というのがその名前ですが、英語の語感でそれを聞いたときにイメージした、barrenというのがぴったりの不思議な場所です。西海岸ですが、アラン諸島と同じ石灰質の大地が広がります。説明標識にあったkarstという単語を見て、いわゆるカルスト台地なのかと納得。緩やかに標高が上がっていって、徐々にむき出しの石灰岩が目立ってきます。クロムウェルはアイルランドでは残虐な侵略者ですが、ここに来たときに「人をつるす木もなく、おぼれさせる水もなく、生き埋めにする土もない」と途方に暮れたとガイドブックにはありますが、確かにこんな風景はあまり今まで見たことがありません。そしてこの地域で一番見たいと思っていたのは、太古の民族が自然の石を積み上げて作った、ドルメンと呼ばれる大きな墓石群。たくさんあるようですが、中でももっとも有名でたどり着きやすい、「巨人のテーブル」と呼ばれるドルメンを目指します。思ったより小さかったのですが、ここでは16人分の人骨が発掘されたらしく、ケルト民族が来るより前の遺跡ですから、感慨もひとしおです。先住民族といえばケルトと思いこんでいましたが、アイルランドにはたくさん、ケルト以前の(つまりは紀元前4000年くらいの)遺跡が残っているのです。それもアイルランドに実際行ってみるまではまったく知らなかったことだし、歴史というか伝統というか、太古の時間の流れの重みを思い知らされました。アイルランドは古いです。気の遠くなるような時間を耐え抜いてきた遺跡たち。すごい。(しかもその遺跡がほとんどお墓だなんて!墓フェチ、断崖フェチの私にとってはうれしすぎる旅でした☆)

お次は、アイルランドといえば赤毛、ですが(私の中では)、それに次いで楽しみにしていた、モハーの断崖へ。さすがに有名な観光地、年間25万人の観光客といっていたアラン島の絶壁よりも人が多い!イニシュモアのドーン・エンガスは300フィート(90メートル)でしたが、こちらのモハーは200メートルの断崖絶壁です↑。思わず小躍りしたくなる素敵な断崖。波が荒々しく絶壁の岩に当たって砕け、断崖の間を縫うように海鳥が舞います。ドーン・エンガスが力強さ、強烈さと、その息をのむような迫力で勝っているのに対し、こちらは約8キロに渡って大西洋に連綿と突きだしている断崖群ですから、その見事さ、洗練された優美さにおいて勝っています。うん、優美でたおやかな感じでした。女性的断崖。10年前に行かれたA先生は、「あれは死ぬよ〜」っておっしゃっていましたが、「これは死ぬ〜」と思ったのはやっぱりドーン・エンガスの方で、荒々しさが全然違いました。しかし、こちらは、事故があったのかなんなのか、聞いていたのとは違って一応、係員が2人ほど、観光客が身を乗り出さないように見張りに立っています。遊歩道のようなものも整備されていて、ドーン・エンガスほど身を乗り出して絶壁を見ることはできません。c0105386_531249.jpgとは言っても、岩だったドーン・エンガスとは違って、こちらは土が主だし、本当の崖っぷちには草が生えていて境界がよく分かりませんから、同じくらい危ないのです。しかし本当におもしろかったのは、「これ以上先に行ってはいけません」という看板をみんな無視して、乗り越えて行くこと。うーん、これこそヨーロッパの個人主義。申し訳程度に立っている見張り係員も、この辺りまで来ることはなく、見て見ぬふり。みんなどんどん看板を乗り越えて行きます。もちろん私も乗り越えて行きますよ〜。断崖フェチとしては、これは危ない!というところまで行かなくては気が済みません。しかし確かに、強い風に吹き上げられた荒波がしぶきとなって吹き上げてきて、いつものにわか雨のせいで濡れた地盤もすべりやすく、確かに一見の価値のある、迫力ある美しい断崖でした。

そしてリムリック郊外のホテルへ。昔は誰かのマナーハウスだったという建物は、ホテル自体としては4ッ星でそれほど格が高くないのですが、お庭が素晴らしかったです。26エーカーの敷地といわれてもピンと来ませんが、計算してみるとざっと約32000坪(ホントかな??計算にはどうも自信がありません・・とにかく、広かった)。広いです。何せ敷地内にホリデイホームがたくさん建っていて、川まで流れていて、釣りができるのですから。結婚式があったらしく、花嫁花婿がお庭で写真を撮っているのを眺めながらゆっくりと川辺をお散歩していると、白鳥がゆったりと川を渡ってきました。優雅な、イギリス的な、ホテルです。(しかしここもお湯が出なかった・・古いホテルはやっぱりダメですね。災難続きです。)しかし何より朝食に出ていたスコーンが素晴らしく素晴らしくおいしかったです!!「スコーン食い」の私が今まで食べたスコーンの中で一番おいしかった!大絶賛です。このスコーンだけ食べにまた行きたいくらいです、リムリックのCastle Oaks House Hotel!!

ダブリン郊外にある、アイルランド人の心のふるさと、タラの丘(美しいところでしたが、ただの丘だった・・)に寄り、世界遺産の巨大墳墓ニューグレンジ(墓フェチとしては行かずにはおれません!しかもその墳墓に刻まれたぐるぐる文様などは、本当にアイルランドを象徴するものだし!)に寄ったときには時間切れですでにガイドツアー(でしか行けない)はすべて売り切れ。墳墓を目前に涙をのみました。くぅ〜〜っ。しかしさらに災難は続きます。ダブリン市内をパニクりながら運転してレンタカーを返しに行ったのに、営業所は閉まっていました。24時間返せるって言ってたのに、あの営業窓口お兄ちゃんめ!!かなりキレましたが、空港まで再度高速を乗り継いで行き、何とか車を返却。いろんなことがありましたが、いろいろ見られたアイルランド南部の旅でした。やっぱり車はいいですね。通り過ぎるだけの小さな村や町も、途中でお昼ご飯を食べに立ち寄った小さな村や町も、それぞれに印象に残っています。ここから今回のもう一つの目的地、北アイルランドに向かいます。(アイルランド紀行、長い〜〜!長文読破、ありがとうございました。)
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by ellisbell | 2006-08-18 05:29 | trip


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